更新日: 2024年1月15日
十三湊を制して栄えた安藤氏と室町期に台頭した南部氏の争い
古くから良港として知られた十三湊は、安藤氏の躍進とともに繁栄しました。安藤氏はどのように青森県域に根づいたのかを追っていきましょう。
目次
安藤氏は青森県域の北条得宗領地頭代として異例の抜擢
奥州合戦で奥州藤原氏が源頼朝に攻め滅ぼされると、その旧領には関東の御家人が入部しました。頼朝の死後、執権北条氏が政治の実権を握ります。3代将軍・源実朝(さねとも)が暗殺されて源氏将軍の血筋が絶えると、津軽諸郡や糠部(ぬかのぶ)郡、外ヶ浜(そとがはま)、西浜などの青森県域は北条得宗(とくそう)領に組み込まれていきます。
青森県域の北条得宗領には曽我(そが)氏、工藤氏、横溝(よこみぞ)氏といった御内人(みうちびと)(北条得宗家に仕えた武士)が地頭代として入ります。なかでも異色なのが安藤氏でした。前九年の役(1051〜1062年)で滅んだ安倍氏の末裔を自称する安藤氏は、蝦夷と深い関わりをもつ土着の豪族でありながら津軽地方の地頭代に抜擢され、蝦夷沙汰(えぞさた)代官(蝦夷管領(えぞかんれい))に任じられました。当時は流刑地だった蝦夷ヶ島(北海道)を統治するかたわら、和人とアイヌの交易にも関与し、勢力基盤を整えていきました。
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