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下北半島の鉄道一大構想とは?大湊線・大畑線・大間線の大計画が未完に終わった経緯 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

下北半島の鉄道一大構想とは?大湊線・大畑線・大間線の大計画が未完に終わった経緯

下北半島の鉄路は現存する大湊線で始まりました。しかし、かつては大畑線が半島を縦断、さらに函館まで連絡船や海底トンネルを使って結ぶ一大構想がありました。

下北半島を鉄道が縦走するはずだった!?

下北半島を走る鉄道は現在、陸奥湾沿いに野辺地(のへじ)〜大湊(おおみなと)間を結ぶ大湊線だけですが、かつては半島北側の大畑(おおはた)まで大畑線が延びていました。さらに、大畑から大間(おおま)へ西進する大間線の計画もあり、半島を鉄道が縦走するはずでした。

下北半島の鉄道は、1921(大正10)年に開業した大湊軽便(けいべん)鉄道(大湊線)に始まります。翌年に公布された改正鉄道敷設法では「青森県田名部(たなぶ)より大畑を経て大間に至る鉄道」が予定線となりましたが、人口の少ない地域の鉄道であり、予算が見送られ着工は遅れました。一時は民間資本の大間鉄道による建設も計画されますが実現しませんでした。ですが、大間は津軽海峡に面した国防上の重要拠点であり、戦時色の強まった1937(昭和12)年に工事区間を分けて着工します。

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