更新日: 2024年1月15日
良寛の生涯と芸術~禅を極め空庵に住み子どもと遊んだ乞食僧
江戸時代、出雲崎に生まれ、越後の地で活動した禅僧の良寛。当時から現在に至るまで、人々から「良寛さん」と呼ばれ、親しまれてきました。
良寛は出雲崎の名家の長男として生まれた
数々の書や詩歌を残し、人々に愛された江戸時代の禅僧・良寛(りょうかん)。幼名を栄蔵(えいぞう)といいます。
1758(宝暦8)年、出雲崎(いずもざき)の名主・山本家の長男として栄蔵は生まれました。佐渡で採掘される金銀の陸揚げ地として栄えた出雲崎で、山本家は名主と神職を兼任し、圧倒的な権勢を誇っていました。栄蔵の父・以南(い なん)は俳諧を嗜む風流人で、栄蔵にも積極的に学問をさせました。少年時代の栄蔵は、地蔵堂町の儒者・大森子陽(おおもりしよう)の塾で学んでいます。栄蔵は家業に興味を示さず、ぼんやりと本ばかり読んでいたので、「昼行灯(ひるあんどん)」と呼ばれていたといいます。
やがて、出雲崎の新興商人・敦賀屋や、隣町尼瀬(あまぜ)の新興名主・野口家の台頭によって、山本家は没落していきます。栄蔵は16歳頃に名主見習いとなりますが、有力者同士の熾烈な権力争いに嫌気がさしたのか、18歳で出家します。正確な時期は定かではありませんが、出家後に「良寛」と名乗るようになります。
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