更新日: 2024年1月15日
燕三条の金属加工は世界に誇る産業!その発展は信濃川の氾濫がきっかけ?
金属加工品を中心とした「ものづくり」で有名な燕三条エリア。当地で金属加工業が大きく発展した要因には信濃川の存在がありました。
燕三条の金属加工業の歴史
信濃川の流域では、かつてあまたの水害が発生していました。その洪水の記録の最古は平安時代までさかのぼり、江戸時代にはおよそ65回もの洪水や破堤が記録されています。4年に1度は大洪水が発生していた計算で、まさしく「暴れ川」でした。
とくに現在の長岡市から新潟市にかけての下流域や支流で氾濫を繰り返し、燕や三条は、土地が低いうえに洪水で溜まった水がなかなか引かず、米農家が困窮することも多かったといいます。そこで寛永年間(1624〜1645年)に出雲崎代官所奉行だった大谷清兵衛(おおたにせいべえ)が、領民の救済策として江戸から釘の鍛冶(かじ)職人を招き、農家の副業として和釘(わくぎ)製造を奨励しました。燕や三条周辺は、古来から鍬(くわ)や鎌(かま)などを製造していた土地です。そうした基盤があったうえで、清兵衛は金属加工の仕事を根づかせようとしたのでしょう。
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