更新日: 2024年1月15日
大河津分水路開発完成までの道のり~越後平野を洪水から守る
大昔から洪水に悩まされてきた越後平野。困難を乗り越え、広大な低湿地帯を一大農地に変えた大河津分水路は、どのようにして開発されたのでしょうか。
目次
大河津分水路は越後平野を2大河川の氾濫から守るため開発された
越後平野は、日本海へと流れ込む信濃川、阿賀野川(あがのがわ)の2大河川によって、上流から運ばれてきた土砂が堆積してできた低湿地帯です。今でこそ広大な農地や、多くの人々が暮らす居住地域を形成していますが、その開発の歴史は河川氾濫との戦いそのものでした。いかにして洪水を防ぎ、土砂を防ぎ人々が暮らせる土地をつくり出したのか。開発が本格的に始まったのは江戸時代初期のことでした。
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