更新日: 2024年1月15日
奥羽越列藩同盟と北越戊辰戦争~激戦をきわめた長岡城の攻防
明治新政府軍と旧幕府軍のあいだで戊辰戦争が勃発。奥羽越列藩同盟を築く中、新潟県域に藩庁を置いていた藩は、それぞれの対応を迫られることになります。
目次
奥羽越列藩同盟が結成されたきっかけになった大政奉還
1867(慶応3)年に江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜が政権を返上(大政奉還)したことを受け、明治天皇より「王政復古の大号令」が発せられ、幕藩体制は崩壊して新政府が成立しました。
明治新政府の中核を担ったのは薩摩・長州・土佐藩でした。旧幕府勢力は新政府に反発し、鳥羽・伏見の戦いが勃発します。会津藩や桑名藩を中心とする旧幕府勢力は敗北し、この戦い以降、会津藩は「朝敵」とされました。
これに対して新政府軍は、会津征伐の東征軍を組織し、東海道・東山道・北陸道の三手に分かれて進軍を開始します。北陸道を進んだ鎮撫総督府(ちんぶそうとくふ)は越後国の小千谷(おぢや)(小千谷市)を占領しました。
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