更新日: 2024年1月15日
越後国は越国が三つの国に分かれて成立し拡大していった
かつての新潟県域は、畿内のヤマト王権からは独立した地域でした。やがて律令国家に取り込まれ、越後国として成立していきます。
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越後国のモトだった越国は「異国」扱いだった
現在の福井県敦賀(つるが)市から山形県庄内地方までの新潟県域を含む日本海側の広範な地域は、古墳時代から飛鳥時代にかけて「高志国(こしのくに)」(のち越国(こしのくに))と呼ばれていました。
8世紀に成立した『日本書紀』によると、589(崇峻天皇2)年に「近江臣満(おうみのおみみつ)を東山道(北陸道)に派遣し、越の諸国との境を監視させた」とあります。畿内に成立したヤマト王権からすると、越国はヤマトの支配領域を“越えた”地域であり、いわば“異国”でした。『古事記』では八岐遠呂智(やまたのおろち)の出身地とされたり、『越後国風土記』では越後国の人々を「八掬脛(やつかはぎ)(土蜘蛛(つちぐも)の末裔)」と名づけたりしていることからも、越国を見下していた態度が見て取れます。
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