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最上川が氾濫する要因

しかし「母なる川」の名とは裏腹に、最上川は国内有数の暴れ川でもあります。日本三大急流のひとつに数えられるほど流れが速い要因は、川底の花崗岩が水をせきとめるような形になっていることに加え、河道が蛇行していたり、川幅が狭い箇所が多いことにあります。ゆえに、大量の雪解け水や台風・豪雨によって氾濫しやすいのです。

現在も最上川流域では、局地的豪雨によって洪水が発生することがありますが、江戸時代にはじつに7年に1回の割合で大洪水が発生していたといいます。このように頻繁に氾濫する最上川の河道は、時代を経て大きく変化してきたと考えられています。

最上川の氾濫を食い止めるためのさまざまな対策

洪水は人々の生活や経済活動に大きな打撃を与えます。そのため、最上川流域では古くからさまざまな対策が行われてきました。米沢に入封した上杉景勝(かげかつ)の家臣である直江兼続(なおえかねつぐ)は、米沢藩の家老在任中、城下を守るため、最上川上流に大規模な堤防を築きました

いっぽう、最上川の下流域では、1650(慶安3)年から本格的な治水工事が行われます。それが新川掘削です。工事前の最上川は、亀ヶ崎城(かめがさきじょう)の南西の落野目(おちのめ)(現・酒田市落野目)から北に折れて大きく蛇行し、沿岸流域は常に洪水の危険にさらされていました。そこで蛇行する地点から東西にまっすぐ抜ける新たな河道(新川)を掘りました。この新川掘削は1674(延宝2)年にも実施されています。ただ、江戸時代の治水は、流域の藩がそれぞれ人力かつ自然物の資材を使って行っていたため、効果には限界があったのです。

最上川の氾濫対策は近代では新川掘削や分離がおもに

最上川下流の治水事業は近代になっても続けられました。1884(明治17)年、国の主導による改修工事の実施が決定。工事監督として、内務省技師で河川改良技術のスペシャリストでもあった石井虎治郎(とらじろう)が派遣されました。石井は「木工沈床法」という技法を用い、18年もの年月をかけ、酒田港の船着場につながる河口に導水堤を築きました

さらに酒田では、明治後期から昭和初期にかけ、経済復興と洪水対策を兼ねて、酒田港と最上川の分離工事も行っています。最上川の土砂がたまり水深が浅くなっていた酒田港は、大型船舶が停泊できず機能が低下していました。そこで「背割堤(せわりてい)」を築き、港と川を分離させたのでした。

また、最上川・赤川(あかがわ)・京田川(きょうでんがわ)が合流する広野(ひろの)村と袖浦(そでうら)村(現・酒田市広野、袖浦)は、江戸時代から洪水に悩まされ、明治になると村を離れる者が後を絶ちませんでした。そこで赤川の掘削工事に取り組み、日本海へと直接抜ける新たな河道(赤川新川)が誕生。地域住民は大いに喜んだといいます。

山形の人々は最上川に生かされ、また戦ってきました。最上川は「母なる川」であると同時に畏怖される、特別な川なのです。

最上川に合流していた赤川の旧河道はしばらく残されていましたが、1953(昭和28)年に閉め切られました。その後、赤川新川(赤川放水路)は拡幅や護岸工事など、さらに整備が進みました。

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・河川がつくった肥沃な庄内平野を35㎞におよぶ庄内砂丘が守る
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