更新日: 2024年1月16日
最上川の氾濫と治水の歴史~新川掘削に酒田築港などの工事は近代まで続く~
多くの恵みをもたらす最上川は、いっぽうで頻繁に洪水を繰り返してきました。山形の人々はその都度、「治水」という戦いに身を投じてきたのです。
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最上川は「母なる川」として豊穣と産業発展に寄与
山形県民にとって最上川は「母なる川」です。ひとつの都道府県しか流れない川として国内最長を誇る最上川は、置賜(おきたま)地方の西吾妻山(にしあずまやま))付近を源流とし、置賜、村山、最上の盆地を抜け、庄内平野に入って日本海へと注ぎます。山形を豊穣の地たらしめているのは、この最上川がもたらす豊かな水です。また、最上川はかつて重要な交通手段として、内陸部での紅花(べにばな)や青苧(あおそ)の栽培など、地場産業の発展に大きく寄与しています。幕藩体制期に舟運が整備されると、北前船(きたまえぶね)の寄港地でもある河口の酒田は物流の拠点となり、奥州随一の商都として莫大な富を山形全域にもたらしました。
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