更新日: 2024年1月16日
山形空港の歴史~旧海軍航空隊の飛行基地跡地に開かれた
高度経済成長期の「一県一空港」の動きや県民の高速交通を求める声を実現するために進められた山形空港は、どのようにして誕生したのでしょうか。
目次
【山形空港の歴史】軍の練習用飛行場の神町空港として開港
2014(平成26)年に開港50周年を迎えた山形空港。2021(令和3)年4月現在では、東京(羽田)・大阪(伊丹)・名古屋(小牧)・札幌(新千歳)の4都市を結ぶ路線が運航し、日本航空とフジドリームエアラインズが乗り入れています。
山形空港は当初、神町(じんまち)空港としてスタートしました。神町空港はもともと1942(昭和17)年に建設された日本海軍の練習用飛行場で、終戦後、米軍による接収を経て、返還後の1956(昭和31)年に陸上自衛隊の演習地として利用されるようになりました。
1960年代に入ると山形と東京を結ぶ航空路線の開設が切望され、山形県内17団体からなる「山形県神町空港設置促進期成同盟会」が発足します。官民一体となり演習地所管の防衛庁と大蔵省の了解を取りつけ、旧滑走路を含む25万2000㎡の無償貸与の獲得に成功。山形県は神町空港を第三種空港として整備することを決定し、1964(昭和39)年6月8日に山形県初の民間空港である神町空港が開港しました。
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