更新日: 2024年1月16日
松ヶ岡開墾場は旧藩士が開拓した国内最北の絹産地
明治維新で職を失い、路頭に迷った藩士たちのなかには、開拓に従事する者が多くいました。その時代の代表的な開拓遺産が庄内地方にあります。
目次
松ヶ岡が開墾場されるまでの背景
幕末、強大な力を有していた庄内藩は、戊辰戦争で会津藩とともに奥羽越列藩同盟の一藩として新政府軍と激戦を繰り広げます。しかし、他藩が続々と降伏し、やむなく新政府軍に降伏しました。そして明治維新後に庄内藩は消滅しますが、ここで大きな問題が生じます。禄を失った旧藩士たちと、江戸を守るために幕府から預けられた浪士隊のこれからの生活をどう守るのかという問題です。そこで、元家老で酒田県の大参事となった菅実秀(すげさねひで)が、交流のあった薩摩の西郷隆盛に相談し、藩士救済と殖産を兼ねた大規模な開墾事業を計画したのでした。開墾予定地は鶴岡東部。現在の鶴岡市の中心市街地から6㎞ほど南東に位置する場所です。
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