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歩兵第三十二連隊によって周辺地域が発展していった
霞城公園周辺が現在のような発展を遂げたのは、大日本帝国陸軍の歩兵第三十二連隊の駐屯の影響が大きくあります。1896(明治29)年、山形市では「忠君愛国(ちゅうくんあいこく)」の機運が高まり、山形市が霞城二の丸の土地を買い上げ、陸軍に寄付することとなりました。当時、米沢市と誘致合戦を繰り広げていましたが、山形市のほうが地元での盛り上がりが高かったことから、結局山形市に設置されました。
公用の生活物資、軍用資材の納入のために、六十数戸の商人が「連隊御用商」として指定を受けたほか、周辺地域には飲食店や写真館、床屋などが相次いで出店。ままならなかった周辺開発が進みました。明治10年代には2万人程度だった人口も、明治30年代には約4万4000人と倍増。山形市の近代化が大きく進む一因となりました。
歩兵第三十二連隊とロシア人捕虜によって発展した山形市
山形歩兵第三十二連隊は、日露戦争や日中戦争、太平洋戦争を歴戦。特にロシアとは幾度となく激戦を繰り広げました。陸軍は日露戦争で約8万人のロシア兵を捕虜にしますが、山形市にも42名の捕虜が移送されたことが記録されています。収容所となったのは専称寺(せんしょうじ)・浄善寺(じょうぜんじ)・唯法寺(ゆいほうじ)の3カ所。
捕虜といっても、日露講和条約によって保護されていたため、街中を自由に歩くことができ、さらに高給が支払われていた。ロシア人捕虜たちは市内の高級料亭に出入りし、相撲を観戦したり、芸妓遊びに興じたりしていたといいます。市民にも温かく迎えられていたようです。
歩兵第三十二連隊の最期
その後、歩兵第三十二連隊は悲運を辿ります。太平洋戦争で、沖縄県の防衛に駆り出され、山形県出身者約3万8000人が犠牲になったとされます。沖縄県には、こうした山形県出身の戦没者を慰霊する「山形の塔」も建てられており、今に至るまで両県の交友は続いています。
戦争によって、多くの県民が犠牲となったものの、歩兵第三十二連隊は山形市に大きな経済効果をもたらしました。駐屯地の跡も、現在は市民の憩いの場となっています。
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Part.1 地図で読み解く山形の大地
・出羽富士・鳥海山の成り立ちと火山がもたらす湧水や地形
・山形盆地の成り立ちと扇状地に発展した県都・山形市
・大江町の最上川川床で発見!ヤマガタダイカイギュウって何だ!?
・河川がつくった肥沃な庄内平野を35㎞におよぶ庄内砂丘が守る
・最上川・五百川峡谷の誕生と流域に形成された河岸段丘
・どうやって誕生し段丘が発達?山形唯一の有人離島「飛島」の謎
・冬の名物・美しい樹氷はどうして蔵王山に形成されるのか?
…などなど山形のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 山形を駆け抜ける鉄道網
・急勾配と豪雪を克服し新庄へ至る全国初のミニ新幹線・山形新幹線
・急峻な板谷峠で奥羽山脈越え!逞しき幹線・奥羽本線の今昔
・九州~北海道の貨物車両が走り日本海縦貫線をなす羽越本線
・日本初の交流電化路線にして今や貨物の重要路線の仙山線
・最上川の絶景峡谷を走る!新庄と余目を結ぶ陸羽西線
・三山・高畠・尾花沢の3路線 山形交通の鉄道路線網とは?
…などなど、山形ならではの交通事情を網羅。
Part.3 山形で動いた歴史の瞬間
・木の実でつくったクッキーも!? 山形県域の縄文時代
・和人が蝦夷の領域へと進出! 城柵から見る開拓の歴史
・鎌倉御家人が地頭として進出! 次第に激化する権力争い
・伊達氏との対立を経て統治者に君臨した最上氏の栄枯盛衰
・街道と航路が整備され 発展する沿道の産業と商業
・領主交代に領民が抵抗! 天保の国替え反対一揆とは?
・異名は鬼県令!? 初代県令三島通庸が推進した土木工事
…などなど、激動の山形の歴史に興味を惹きつける。
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