更新日: 2024年1月16日
山形歩兵第三十二連隊が山形県にもたらしたもの~満州戦や沖縄戦にも派遣された部隊~
山形市民の憩いの場となっている山形城跡には、かつて大日本帝国陸軍の歩兵第三十二連隊が駐屯していました。軍は市の近代化の一翼を担っていました。
目次
歩兵第三十二連隊が駐屯していた山形城の扱い
山形市のシンボル的存在ともなっている霞城公園(かじょうこうえん)は、かつての山形城跡。今でこそきれいに整備されていますが、明治時代初期の山形城は荒廃しきっていました。
江戸時代前期に最上氏が改易されたことによって、本丸は打ち捨てられたも同然の状態で、明治維新後は政府所有となり、三島通庸(みしまみちつね)の県令時代に山形県に無償で払い下げられました。三島通庸は山形城周辺を牧畜場として開発する目論見でしたが、三島通庸が福島県令へと転任となると、再び山形城の開発はストップ。分割されて旧藩士たちの所有となりますが、生活に困窮していた彼らはその土地を民間の商人たちに売却。農地転用が図られようとしていましたが、旧藩士たちの反対にあって、それもままならず、旧城下町の整備は大きな課題となっていた。
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