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更新日: 2024年1月16日
【山形の江戸時代】出羽の雄・最上氏が改易に!? 小藩化が進み領主は二転三転
江戸時代が始まった直後、山形藩の最上氏が改易となってしまいます。県域には大名領以外にも旗本領や他藩の飛び地が入り交じり、小藩化が進みました。
【山形の江戸時代】改易が続く山形藩主
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い後、上杉氏は120万石から30万石に減封され、会津城(福島県会津若松市)から米沢城(米沢市)に移ってきて米沢藩が立藩されました。最上氏は57万石に加増され東北有数の大大名となりますが、最上義光の死後に御家騒動が起き、1622(元和8)年に改易されてしまいます。
最上氏の改易後、山形藩(山形市)には鳥居忠政(とりいただまさ)、庄内藩(鶴岡市)には酒井忠勝(さかいただかつ)、新庄藩(新庄市)には戸沢政盛(とざわまさもり)、上山(かみのやま)藩(上山市)には松平重忠(まつだいらしげただ)が入りました。これらに加え、米沢新田(よねざわしんでん)藩、松山(まつやま)藩、天童(てんどう)藩、長瀞(ながとろ)藩などが県域に成立します。
山形藩は幕閣の左遷先?
山形藩では最上氏に続いて鳥居氏も改易となってしまいます。その後、保科正之(ほしなまさゆき)のような名君を輩出もしていますが、山形藩は次第に「失脚した幕閣の左遷先」として扱われるようになります。その結果、山形藩では江戸時代を通じて頻繁に領主が入れ替わり、その数は12家にも及びます。石高は多いときでも10万石程度にとどまり、藩政は安定しませんでした。
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