更新日: 2024年1月16日
【中世期の出羽国】鎌倉御家人が地頭として進出!次第に激化する権力争いのゆくえ
鎌倉時代以降、出羽国内に入部した関東御家人が土着していきました。やがて彼らがそれぞれ勢力拡大を目指し、争いを繰り広げるようになっていきます。
目次
【出羽国の中世①】源頼朝による奥州進行
平安時代の出羽国には摂関家の荘園が開かれました。やがて時代が下ると、それらの荘園は奥州藤原氏が支配します。
1185(文治元)年に壇ノ浦の戦いで平家(伊勢平氏)を滅ぼした源頼朝は、鎌倉政権を盤石なものとするために、奥州藤原氏の打倒を企図します。源頼朝に反抗した源義経を奥州藤原氏がかくまったことを口実に、1189(文治5)年に28万騎を動員して奥州に侵攻していきます。源頼朝は大軍を三手(東海道、北陸道、奥大道)に分けて奥州藤原氏の拠点・平泉(岩手県西磐井郡)に向けて進軍していきます。北陸方面軍は越後路(えちごじ)を経由して、出羽国の入口である念珠ヶ関(ねずがせき)(鶴岡市)を攻略しました。奥州藤原氏を攻め滅ぼした源頼朝は、葛西清重(かさいきよしげ)を奥州総奉行に任じ、陸奥国と出羽国を幕府の直轄領としたのでした。
こうした関東御家人の流入により、出羽国内の勢力図は急激に変動し、在来勢力とのあいだで軋轢を生み、権力争いが繰り広げられていきます。
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