庄内砂丘の成り立ち
庄内砂丘は長さ約35 ㎞、幅1.6~3.2 ㎞、最高点は約70mに達する、わが国を代表する一大砂丘です。では、海岸線に沿って、砂丘はいかにして形成されたのでしょうか。
庄内砂丘は、8000年前頃までに、海面変動の影響と最上川や月光川、日向川が運んで堆積した土砂が、強い季節風で浜に吹き戻されて形成されたものと考えられています。また庄内砂丘は、海岸に平行に延びるいくつかの砂丘列からなっていて、海岸線に面する西部砂丘、東側の東部砂丘、その間の砂丘間低地に大別することができます。 西部砂丘は、約250~500mの幅をもち、高さは約10~15m。砂丘の尾根は曲がりくねり、いくつかの集落を取り巻くように延びています。
東部砂丘は、北端から南端に向かって高くなり、北部の吹浦付近で約50~60m、最上川右岸の酒田付近では約30m、南部の七窪(ななくぼ)(鶴岡市)東方では約70mの高さがあります。東部砂丘の尾根線は南北に直線状に延びていますが、これは強風による飛砂を防ぐ砂防垣によるものだと考えられています。
庄内砂丘は防風林に覆われている
なお、現在の庄内砂丘は、鳥取砂丘のような「砂の丘」といったイメージはなく、クロマツなどの防風林に覆われています。中世の頃まで庄内砂丘は、おもに広葉樹からなる自然林に覆われていました。しかし、戦国時代になると戦乱や年貢として塩を作るための燃料として木が伐採され、不毛の砂地になってしまいました。そこで江戸時代半ば、強い季節風や飛んでくる砂から田畑を守るためにクロマツの植林が始められます。近代、太平洋戦争による混乱で防風林は荒れ果て、1950(昭和25)年頃まで強風時には砂が家の中にまで吹き込み、傘を差しながら食事をしなければならなかったといいます。
庄内砂丘の防風林が農業や暮らしを守っている
そこで、1951(昭和26)年、国による砂防植林プロジェクトがスタートし、1970年代に完成にこぎ着けています。防風林を得た庄内砂丘は、現代においても日本海から吹きつける強風を遮断し、庄内平野の農業や暮らしを守っているのです。
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