山梨のミネラルウォーターの初代は湧水だった
日本にミネラルウォーターが登場したのは明治時代。1884(明治17)年、三菱財閥が炭酸泉水をビン詰めして売り出した「三ツ矢印平野水」(後の三ツ矢サイダー)が始まりです。
一方、炭酸水ではない、いわゆるミネラルウォーターは、1929(昭和4)年に堀内合名会社(現富士ミネラルウォーター株式会社)が「日本ヱビアン(NIPPON EVIAN)」として発売したのが最初で、旧西八代郡下部町(今の山梨県南巨摩郡身延町下部)の富士身延鉄道(現 JR東海身延線)の土地で湧出した水を使用していました。
山梨県産のミネラルウォーターが知られるようになるまで
一般に知られるようになるのは第二次世界大戦後のことです。1967(昭和42)年頃からウイスキーの水割りが流行。それに合わせて業務用のミネラルウォーターの消費が増え、ニッカウヰスキー、サントリーといった大手飲料メーカーが次々にビン入りのミネラルウォーターを手掛けるようになります。
このときはまだ飲食店での消費が主流で、一般家庭に届くのはさらに15年ほど後のこと。富士ミネラルウォーターが初めてペットボトルの天然水を売り出し、1983(昭和58)年にはハウス食品が「六甲のおいしい水」(兵庫)、サントリーが「山崎の名水」(山梨)を発売。そして1991(平成3)年「南アルプスの天然水」の大ヒットによって、山梨県産のミネラルウォーターが一躍、全国に知られることとなります。
大自然が生み出す良質な水を守る「育水」という考え方のもと、水質や水環境の保全活動を展開しているのも、豊かな水資源に恵まれた山梨らしい取り組みといえるでしょう。
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山梨の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。山梨の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報満載!
Part.1 地図で読み解く山梨の大地
・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」
…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網
・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号
…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間
・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”
…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。
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