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【山梨ワインの歴史】奈良時代に甲州の寺からはじまる

山梨県のブドウ作りの起源は奈良時代にまで遡ります。718(養老2)年、甲斐国を訪れた僧・行基の夢に、手にブドウを持った薬師如来が現れました。その姿を像に彫り、安置したのが甲州市勝沼町の「柏尾山大善寺(かしおさんだいぜんじ)」と伝えられます。今も大善寺の境内にはブドウ棚があり、住職や檀家がワインを造る「ぶどう寺」として親しまれています。

寺とワイン、一見ミスマッチにも思えますが、この地で最初に国産ワインが造られたのが寺だった歴史を考えると、その縁は細く長く続いていたのではないかと思わずにはいられません。

【山梨ワインの歴史】奈良時代に甲州の寺からはじまる

大善寺の薬師堂(本堂)。境内の庫裏(寺の台所)では、寺で醸造したワインを飲むことができます。

大善寺

住所
山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
交通
JR中央本線勝沼ぶどう郷駅から甲州市市民バスワインコース2で14分、大善寺下車すぐ
料金
見学料=大人500円、小・中・高校生300円/グラスワイン拝観=見学料プラス300円/1泊朝食付=5720円/(障がい者手帳持参で見学料100円引)

【山梨ワインの歴史】ワイン造りの先駆者は僧侶と酒商人

明治時代に入り、西洋に追いつけ追い越せと、政府はさまざまな殖産興業政策を打ち立てました。1874(明治7)年頃から勝沼周辺で始まったワイン製造もそのひとつですが、それより以前に、山梨でワインを造ろうと奮闘した先駆者がいました。山田宥教(ひろのり)と詫間憲久(たくまのりひさ)です。

甲府広庭町(現在の甲府市武田)にある寺院・大応院の僧だった山田は、横浜で外国人がワインを嗜む様子に触発され実家の寺でワイン造りを始めました。一方、詫間は酒や味噌などを扱う商人であったといわれています。

2人は国産ワインで新事業を起こすべく、大応院の土蔵を醸造場に改装。味噌づくり用の圧搾機をワイン用圧搾機に改造したり、清酒用の樽を貯蔵用に代用したりするなど、さまざまなアイデアを駆使して1872(明治5)年、日本初となるワインを生み出します。ただ、その功績は評価されたものの、醸造技術や知識不足、資金難といった要因から、ほどなく2人は廃業せざるを得なくなります。

【山梨ワインの歴史】高野正誠と土屋龍憲の努力で甲州種のブドウでワイン醸造に成功!

一方で、山梨県は県令(現在の知事)の藤村紫朗(ふじむらしろう)らを中心に、山梨県の事業として本格的にワイン醸造に乗り出していました。1876(明治9)年、甲府城跡に「山梨県勧業試験場」を建設。翌年には附属施設として葡萄酒醸造所を開きました。開墾地に植えたブドウは1万本余り。1877(明治10)年に設立した大日本山梨葡萄酒会社(現・メルシャン株式会社の前身)は地元の名だたる名士が発起人となり、山梨県令も後援した民間初のワイン会社となりました。

そして、正しい醸造技術や知識をもった人材を育成するため、フランスに派遣されたのが高野正誠(まさなり)と土屋龍憲(りゅうけん)です。若い2人は、フランス語すら話せませんでしたが、1年間の修業期間を経て帰国。1879(明治12)年に甲州種のブドウでワイン醸造に成功します。試行錯誤や農地改良を繰り返し、ブドウの作付け面積やワインの醸造高が増えていったのは第一次世界大戦後でした。

【山梨ワインの歴史】高野正誠と土屋龍憲の努力で甲州種のブドウでワイン醸造に成功!

【山梨ワインの歴史】第二次世界大戦中の意外な需要

こうして少しずつ軌道に乗り始めた国産ワインですが、第二次世界大戦中には、意外な形で需要が高まることになります。音波を素早くとらえるための探知機に不可欠なロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)がワインに含まれていたのです。

海軍はワイン醸造を奨励し、粗酒石を採取するよう働きかけました。1944(昭和19)年度、約1301万リットルだった果実酒の課税石数は、翌年には約3420万リットルにまで増加していることからも、その力の入れようが想像できます。

【山梨ワインの歴史】醸造技術はさらに進化を続けている

戦争の煽りを受け、終戦後、ワイン産業は一時低迷しますが、高度経済成長期の東京オリンピックや大阪万博を経てヨーロッパの食文化が一般にも広がることで、ワインは人々に親しまれるようになりました。バブル崩壊の際には、輸入ワインの価格が下がるなど、数多の浮き沈みを経て、ワインはより日常的に、気軽に楽しむものへと変わってきました。

また、国産ワインにおいても、醸造技術がさらに進化し、今や日本のブドウで造ったワインが海外で話題に上ることもあります。それは、国産ワイン造りに心血を注ぎ、激動の時代にあっても諦めず夢を思い描いた先人たちの、150年の集大成に他なりません。

明治の廃線トンネルを利用した「勝沼トンネルワインカーヴ」

甲州市勝沼町の「勝沼トンネルワインカーヴ」は、明治時代に造られた旧中央本線の廃トンネル(旧深沢トンネル)を利用したワイン貯蔵庫。レンガ積みのトンネル内は年間を通じて温度6~14℃、湿度が45~65%とワインの長期熟成に最適な条件で、1100mのトンネル内に100万本ものワインを貯蔵することができるといいます。

廃トンネルは1997(平成9)年にJR東日本から地元の勝沼町に無償で譲渡されたのですが、ワインの町・勝沼ならではの活用方法です。

明治の廃線トンネルを利用した「勝沼トンネルワインカーヴ」

施設入口。「カーヴ」はフランス語で貯蔵庫を意味します。

トンネルワインカーヴ

住所
山梨県甲州市勝沼町深沢3602-1
交通
JR中央本線勝沼ぶどう郷駅からタクシーで10分
料金
無料

ワインは「葡萄酒」、一升瓶と湯呑で乾杯するのが山梨流

山梨県民にとって、ワインはとても身近な存在。だからこそ、山梨ならではの飲み方があります。一般的な750mlではなく、一升瓶のワインが山梨流。「葡萄酒」と呼ぶそれを、気取らずに湯呑やコップで楽しむのです。

大人数で集まるときや、毎日の晩酌には欠かせない、このお手軽さこそ、ワインが山梨県人の暮らしに溶け込んでいる証拠でしょう。

>>山梨のワイナリーをめぐるならこちらの記事へ

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地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から山梨県を分析!

山梨の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。山梨の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く山梨の大地

・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」

…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網

・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号

…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間

・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”

…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。

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