更新日: 2024年1月17日
森鴎外と津和野町の関係~津和野町に森鷗外記念館があるのはなぜ?~
小説家と軍医の二足のわらじで功績を残した森鷗外。鷗外と津和野(つわの)の関係と、津和野が「山陰の小京都」と呼ばれる理由を探ってみましょう。
森鴎外は津和野町出身だった
津和野町には明治の文豪・森鷗外の記念館が立っています。東京都にも「文京区立森鷗外記念館」があるため、東京出身だと思われそうですが、彼の生まれは津和野町なのです。
森鷗外は1862年、津和野藩に仕える医師を務める森家に生まれます。10歳のときの廃藩置県をきっかけに父とともに上京。東大医科卒業後に陸軍軍医となり、ドイツへ留学します。軍医のトップとして活躍しながら小説家としても『舞姫』『青年』『雁(がん)』『阿部一族』を発表し、高い評価を得ました。
森鴎外は生まれ故郷津和野の人間(石見人)として死ぬことを希望していた
1922年に亡くなるまで住居を東京に構え、津和野に訪れることはありませんでしたが、遺書には「余(よ)ハ石見人森林太郎(いわみじんもりりんたろう)(鷗外の本名)トシテ死(し)セント欲(ほっ)ス」と記しています。
最初は東京の向島の弘福寺(こうふくじ)に埋葬されましたが、関東大震災で罹災したため現在の東京都三鷹市にある禅林寺(ぜんりんじ)に移され、津和野町の永明寺(ようめいじ)にも分骨されました。
津和野町の生家は人手に渡り、別の場所に移築されていましたが、1954年に町に寄付されて記念館の北側に移され修築されます。その後、再度修築され現在に至ります。
森鴎外記念館
- 住所
- 島根県鹿足郡津和野町町田
- 交通
- JR山口線津和野駅から石見交通津和野温泉行きバスで6分、鴎外旧居前下車すぐ
- 料金
- 入館料(森鴎外旧居宅と共通)=大人600円、中・高校生400円、小学生250円/(障がい者手帳、療育手帳持参で本人とその介護者1名無料)
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