更新日: 2024年1月17日
隠岐騒動と激しい廃仏毀釈運動~一度だけ隠岐が独立?~
出雲地方の支配に甘んじてきた隠岐諸島でしたが、一度だけ自治を獲得したことがありました。すぐに鎮圧されますが、不満の矛先は仏教に向くことになります。
隠岐騒動の背景
中世以降、出雲の統治者は佐々木氏→塩冶(えんや)氏→京極(きょうごく)氏→尼子(あまご)氏→毛利(もうり)氏(吉川氏)→堀尾(ほりお)氏→京極氏と変わっていきますが、隠岐は常に出雲の統治者の支配下にありました。それは松江藩主が松平氏になっても変わらず、隠岐国全体を支配する郡代と、島前と島後のそれぞれに代官を置いて統治を行っていました。この数百年にわたる松江藩の支配に、隠岐の住民は不満を募らせていたのです。
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