更新日: 2024年9月23日
隠岐の島といえば島流し?流された後鳥羽上皇と後醍醐天皇
遠流の地・隠岐の島には、後鳥羽上皇や後醍醐天皇をはじめとするさまざまな人物が流されました。それは牛突きなど隠岐に独自の文化を生む要因となったのです。
≪ポイント≫
・江戸時代になるまでは身分の高い人専用の流刑島だった
・隠岐以外にも流刑地がいくつもあった
・後鳥羽上皇は隠岐で生涯を終え、後醍醐天皇は脱出した
目次
隠岐の島はどんな島?
本州から約50キロは離れている隠岐諸島。隠岐の島は大きくふたつに分けられ、本州に近い中ノ島・西ノ島・知夫里島の主要な3つの島からなる諸島を「島前(どうぜん)」と呼び、現在の隠岐の島町がある大きな島を「島後(どうご)」と呼びます。離れてはいますが晴れた日には島根県の本州側から島前と島後が見えることがあります。現在は高速船に乗れば1時間半ほどで行ける観光地ですが、明治時代になるまでは日本海の荒波を帆掛け舟で移動する必要があり、容易に行ける場所ではありませんでした。今でも天候の悪化でフェリーが欠航することがあります。
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