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「銀の道」は石見銀の増産に伴って次々と整備された~ほかにも「うなぎ街道」「鯖街道」など島根にあるさまざま街道~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

「銀の道」は石見銀の増産に伴って次々と整備された~ほかにも「うなぎ街道」「鯖街道」など島根にあるさまざま街道~

石見(いわみ)銀山から港へと敷かれた「銀の道」は、石見の銀を世界へ送り出す起点となる道程でした。他にもいろいろな物資を輸送するための街道が整備されました。

「銀の道」は石見銀山で産出された銀を運ぶ街道

島根県大田(おおだ)市にある石見銀山で産出された銀を港まで運ぶ街道は「銀の道」と呼ばれ、時代や領主が変わるたびに整備されました。

「銀の道」を通って銀は港へ運ばれる

石見銀山は1526年、博多の豪商・神谷寿禎(かみやじゅてい)が本格的に開発を始めました。寿禎は採掘した銀鉱石を石見の守護大名・大内氏の直轄地である鞆ヶ浦(島根県大田市仁摩町馬路の港から積み出し、博多で精錬しました。

そのころの航海は地乗(じのり)といって沿岸の港に寄港しながら行なったため、石見〜博多間の航路上の国々を支配する大内氏の保護は寿禎にとっても好都合だったのです。

当時、日本海水運の拠点は鞆ヶ浦ではなく温泉津(ゆのつ)港(島根県大田市温泉津町)でしたが、温泉津は国人・温泉氏が支配しており、銀山からの距離は約12kmもありました。精錬前の重たい銀鉱石を運搬するためより短く約7.5kmで着く鞆ヶ浦が選ばれました

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