更新日: 2024年1月16日
雨宮敬次郎による我田引鉄だったというのは本当?笹子トンネルを抜けた中央本線が 北へ大きく迂回するのはなぜ?
甲州市から山梨市にかけて、中央本線は甲府盆地の北側をわざわざ大回りしているようにみえます。
この一見不自然なルートは、どのような理由があって生まれたのでしょうか。
目次
雨宮敬次郎が我田引鉄したといわれる中央本線の不自然なルート
「我田引水(がでんいんすい)」をもじった、「我田引鉄(がでんいんてつ)」という造語があります。鉄道の敷設にあたって、地元の有力者や政治家がルートや駅の設置場所の選定に介入し、自らの利益となるよう線路を通し、駅を設置することを揶揄した言葉です。自動車交通が未発達だった時代に敷設された路線を中心に、真偽のほどは別として「我田引鉄」にまつわる話は全国各地で伝えられていて、山梨県内の鉄道にもそのような話があります。
地図を見るとわかりますが、笹子トンネルを抜けた中央本線がそのまま直進せず、甲府盆地の北側にある塩山駅を通る大回りルートで山梨市駅へ向かっていて、この一見不自然なルートが、山梨県生まれの明治期の実業家、雨宮敬次郎(あめみやけいじろう)(1846-1911)の力によってできたと言われています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!