更新日: 2024年1月18日
沖縄航路は明治初めに誕生した本州と沖縄を結ぶ国内最長の航路
明治新政府の命で開設された本州と沖縄を結ぶ船舶航路。沖縄の近代化にも寄与したその航路は現在どうなっているのでしょうか?
目次
沖縄航路(琉球航路)は沖縄と日本本土をつなぐ
琉球王朝時代、沖縄は大陸と日本の交易の中継地点として大いに栄えました。そのため海上交通は古くから島民の生活に深くかかわってきました。
海上交通において、日本本土と沖縄をつなぐ「琉球航路」が開設されたのは1875(明治8)年。明治新政府の命を受けた郵便汽船三菱会社(現・日本郵船)が、東京~大阪~鹿児島~奄美~那覇の就航しました。当時、新政府は琉球の併合に向け、「琉球藩」の名目で藩主を沖縄に送り込んでいましたが、本土と沖縄を結ぶ航路は、政府の意向伝達をスムーズにする役割を果たしていたのです。
沖縄航路は大阪商船の独占状態が続く
1879(明治12)年、ついに沖縄は日本領に組み込まれることになり、首里城が明け渡され(琉球処分)、沖縄県が誕生します。そしてその6年後の1885(明治18)年、大阪商船が参入し、大阪~沖縄間の航路を開設しました。翌1886(明治19)には地元2社(沖縄広運・沖縄親睦会)も沖縄航路に参入しますが、4社の競争が過熱し、協定を結ぶことになりました。ですが、のちに日本郵船が撤退し、地元2社も続いたため、これ以降は大阪商船の独占状態が続くことになります。
沖縄航路図
初の沖縄〜本土航路は、1875(明治8)年に明治新政府の命を受けた郵便汽船三菱会社による琉球航路(東京〜大阪〜鹿児島〜奄美〜那覇)でした。明治〜昭和初期にかけて主力となった本土航路は大阪沖縄線(鹿児島・奄美へも寄港)。1936(昭和11)年頃の最短ルートは、大阪を出発し、3日目に奄美大島の名瀬港、4日目に那覇港に到着しました。現在の本土航路は鹿児島沖縄線(奄美に寄港)のみ就航しています。鹿児島を午後6時に出発し、各地に寄港し、那覇に到着するのは翌日の午後7時となります。
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