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沖縄県鉄道は戦前の沖縄県民の足、輸送手段として活躍 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月18日

沖縄県鉄道は戦前の沖縄県民の足、輸送手段として活躍

長らく鉄道のなかった沖縄県では、戦前に沖縄県鉄道があり親しまれていましたが、沖縄戦の戦火に散り、よみがえることはありませんでした。往時の姿を見てみましょう。

沖縄県鉄道は県営鉄道として開業

かつて沖縄島には、沖縄県鉄道と呼ばれる県営の鉄道が存在しました。1917(大正6)年までは沖縄軽便(けいべん)鉄道、以降は沖縄県鉄道が正式名称で、県民からは「ケービン」という愛称で親しまれていました。

沖縄の鉄道の歴史は明治末期に始まります。当時、沖縄島における鉄道の敷設は県外の資本家により、たびたび計画されますが、いずれも実現しませんでした。このため、県営による敷設が有力視され、1913(大正2)年1月の県議会で那覇~与那原(よなばる)間(与那原線)、国場(こくば)~糸満(いとまん)間(糸満線)の鉄道敷設案が可決されました。まず与那原線の工事に着手し、12月に着工。翌1914(大正3)年12月に開業します。県営鉄道としては千葉県、宮崎県に次ぐ全国で3番目の開業となりました。車両はB形タンク機関車3両、客車7両、貨車9両のスタートでした。客貨ともに好調で1916(大正5)年12月には乗客数は60万人を数えました。

沖縄県鉄道の発展と困難の歴史

続いて糸満線が着工される予定でしたが、第一次世界大戦の影響による不況で中止されます。しかし、1918(大正7)年に沖縄県にも所得税法が施行されると、経済援助の名目で補助が行われることになり、再び鉄道建設計画が浮上。県議会で嘉手納(かでな)線の着工が決定し、1922(大正11)年3月に古波蔵(こはぐら)~嘉手納間が開業しました。嘉手納線は地域の足となるいっぽう、県の主要産業である製糖の輸送も使命とし、嘉手納製糖工場に側線が敷かれ、さとうきびの搬入、製品の那覇港への輸送が行われました。続いて糸満線も着工され、1923(大正12)年7月に開業。製糖輸送も行われ、3路線の総延長は48.2㎞、乗客数は年間100万人に迫りました。ほか、嘉手納~名護間を結ぶ名護線も計画されますが、これは実現しませんでした。

県営の鉄道には大正の初期から1945(昭和20)年まで、与那原線(那覇~与那原間)、糸満線(国場~糸満間)、嘉手納線(古波蔵~嘉手納間)の3路線がありました。

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