更新日: 2024年12月3日
琉球王国を江戸時代に支配した薩摩藩。その目的は貿易の独占?
徳川家康が江戸に幕府を開くと、幕藩体制に取り込まれた薩摩の島津氏が琉球に侵攻してきました。その背景を、順を追って見ていきましょう。
目次
琉球王国と日本との付き合いは室町時代から
明との正式な交易である勘合(かんごう)貿易の日本側の窓口は、かつては室町幕府でした。しかし、室町幕府の衰退とともに、勘合貿易の窓口は堺や博多の商人にかわっていきます。
琉球王国と日本との関係変化の兆し
1590(天正18)年に小田原征伐で後北条氏を滅ぼして日本統一を成し遂げた豊臣秀吉は、海外への領土拡張と勘合貿易の復活を狙い、1591(天正19)年8月に「唐(から)入り」を全国に布告。明への先導役を朝鮮に要求しますが拒否され、1592(文禄元)年から2度にわたる朝鮮侵攻が始まります(文禄・慶長の役)。
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