更新日: 2024年1月18日
琉球文化の歴史~多種多様な文化を交易を通じて取り入れ育まれてきた~
島津氏の琉球侵攻以降、琉球王国は薩摩藩の支配を受けながらも存続。中国や日本の影響を受けながら、琉球ならではの独自文化を花開かせていくのでした。
琉球文化の多様性は貿易で育まれた
第二尚氏は3代・尚真(しょうしん)の時代に身分制度を確立し、中継貿易によって財源を確保し、「間切」「シマ」といった行政区画を整備します。
薩摩藩からの侵攻を受ける
しかし、琉球王府を頂点とした中央集権的な国家運営によって黄金時代をもたらしたものの、1609年、7代・尚寧(しょうねい)の治世下で薩摩(鹿児島県)の島津氏から侵攻されます。戦闘経験の乏しい琉球は島津軍に敗北し、尚寧は島津氏への忠誠を誓う起請文(きしょうもん)への署名を強要されてしまいます。
以降、中国(明、清)とは進貢関係を維持しながらも、薩摩を通じて江戸幕府からも支配を受けることになるのでした。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!