更新日: 2024年1月16日
「甲州街道」と「富士川舟運」の歴史~徳川のお膝元で発展した2大交通
江戸時代初期に整備された甲州街道と富士川舟運。
街道や輸送路の発達は、人や物の流通を活発にし、甲斐国を豊かにしていきました。
これらはどのような役割をもち、どのように発達していったのでしょうか。
甲州街道の歴史
甲州街道は、江戸幕府によって整備された五街道のひとつ。5番目に完成した街道で、江戸(日本橋)から甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と合流するまで44次の宿場が置かれました。
江戸から甲府までの37宿は「表街道」、甲府から下諏訪までの7宿は「裏街道」と呼ばれています。大名たちの移動などに利用されたほか、甲州葡萄や郡内絹といった甲斐の特産物の流通にも大きな役割を担いました。
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