更新日: 2024年1月16日
武田氏の領地は武田信玄が広げ武田勝頼が最大領地に成した
武田信玄の跡継ぎとして甲斐の国主となった武田勝頼。
偉大な父・信玄の活躍の影に隠れがちですが、実は信玄でさえ成し得なかった領地に足を踏み入れ、気炎を上げました。
武田勝頼とは
武田勝頼(たけだかつより)は、武田信玄の4番目の子どもです。側室・諏訪御料人の子で、上に兄が3人いたことから当初は跡取りとして扱われておらず、母方の家である諏訪家の跡取りとしての道を歩んでいました。
ところが、長男・義信(よしのぶ)は信玄暗殺を企てた謀反の罪で甲府東光寺に幽閉され、後継者としての地位を失い、その後死亡してしまいます。続く次男・竜芳(りゅうほう)は盲目のため出家しており、三男・信之(のぶゆき)も幼少期に亡くなっていたため、四男の武田勝頼が跡継ぎとして担ぎ出されることになりました。
しかし、武田勝頼が跡継ぎになることを武田家の家臣たちはあまりよく思っておらず、武田信玄も遺言にて「勝頼が当主になるのは一時的なもので、勝頼の子が元服したらその子を当主にするように」と伝えていたといいます。この発言からもわかるように、信玄の正式な後継者は武田勝頼の嫡子・信勝(のぶかつ)であり、勝頼はその代理に過ぎなかったようです。
また、武田信玄は「自分の死を3年隠すように」という遺言も残していたとされています。これは、自分の死を知ると周囲の敵が勢いづくため、国内の守りを固めよという意味ですが、そこには「自分が死ねば武田家は弱体化する」という懸念もあり、これは家臣たちと対立している武田勝頼の頼りなさを表していたのかもしれません。
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