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八郎潟の干拓事業のメリット

1952(昭和27)年、国の八郎潟干拓調査事務所が設置され、農林省から多くの技術者がオランダへ留学。1954(昭和29)にはオランダの干拓専門家・ヤンセン教授が八郎潟を視察し、南部に調整池を設けるなどの最終案につながる案を提出しました。

同年、世界銀行調査団が八郎潟を融資対象として来日。さらに1955(昭和30)年に秋田県知事になった小畑勇二郎は、八郎潟干拓を秋田県政の最重点政策としました。

当時、秋田県内の農村は働き口がない「次・三男問題」が深刻で、小畑は干拓地の供与による問題解決と食糧増産を図ると主張。漁民には漁業補償を行い、反対運動を収束させたのです。

八郎潟の干拓事業がはじまる

事業開始は1957(昭和32)年。湖底に最大50mほど堆積しているヘドロの上に築堤するため、湖内で試験が行われました。高さ約2m の砂床を盛る「サンドベッド工法」とヘドロを掘削し、重い砂と置き替える「砂置換工法」の2工法で実物大の試験堤防をつくって比較。堤防を壊す「破壊試験」も行い、収集したデータから、同2工法を組み合わせる独自の工法が編み出されました。

前例のない壮大な事業は試行錯誤の連続で、調査と工事、施工機械の開発や改良が同時に進められました。

八郎潟の干拓により発足した大潟村

堤防のほか、東西に延びる幹線排水路と、これに直交する中央幹線排水路、延長約620㎞の支線・小排水路を整備。農業用水は、船越水道に防潮水門を設置し、海水の浸入を防いで淡水化しました。

1963(昭和38)年11月、1周51.5㎞の堤防がつながり、排水機場のポンプで、約7億トンもの水の排水を開始。1964 (昭和39)年9月に湖底が出現し、干陸式が行われました。

中央干拓地を単独の自治体とし「大潟村(おおがたむら)」が発足したのは同年10月1日です。

すでに農業を取り巻く環境は大きく変化しており、技術革新が進んで米の生産量が増大するとともに、高度経済成長により、農村の過剰人口は都市や工場地帯に流出。食糧問題も次・三男問題も解消され、八郎潟の目標はモデル農村建設に転換を余儀なくされました

八郎潟の入植者で立ち上がった大潟村は日本農業のパイオニア

農地や集落が整備され、1966(昭和41) 年の国による入植者募集に、全国から615人が応募。選抜試験に合格した第一次入植者56人による営農が始まりますが、圃場はまだ地盤が超軟弱で、稲作は困難を極めました。悪戦苦闘しながらも、土地改良の進展や農業機械の進化にともない、経営や栽培法が安定。現在は秋田県内有数の米の産地となったのです。

20年の歳月と総事業費852億円を投じた国の一大事業は1977(昭和52)年に完了。食糧増産から減反という国の政策変更に翻弄されながらも、入植者らは日本農業のパイオニアとして、独自の販路開拓や商品開発など、先駆的な取り組みを続けています

八郎潟の入植者で立ち上がった大潟村は日本農業のパイオニア

元の面積の約4分の3、約1万7000ヘクタールを干拓し、残りは調整池に。農地や集落が整備され、大潟村が誕生しました。

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・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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