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【秋田のおもな港】秋田港は日本海側有数の要港!

現在、秋田県海運の重要拠点となっている港湾といえば、秋田港、船川(ふなかわ)港、能代(のしろ)港です。そのなかで日本海側有数の要港のひとつに数えられるのが秋田港です。

秋田港の歴史

秋田港はもともと土崎港といい、大和朝廷の蝦夷(えぞ)征討の軍事港にもなっていたほど歴史が深いといわれます。

江戸時代には当地を治めた久保田藩が交易の拠点とし、北前船や雄物川(おものがわ)水運で運ばれてくる物資の集積基地として発展。北日本海沿岸の重要港となり、「北国七湊(しちそう)」にも数えられました

ただそうした重要港ながら、明治以降、港の近代化はなかなか進まなかったのです。大型汽船の入港が可能になるよう修築されたのは明治中期以降で、その工事も日露戦争で中断され、終戦後も工事は再開されませんでした。

しかし、大正から昭和(戦前)にかけ、雄物川の改修工事にともなって港も修築され、工業港としての基礎がつくられました。戦時中は製油所が建ち並んでいたため、空襲(土崎空襲)の標的になりましたが、戦後は特定港に指定され、大規模な港湾整備も実施されました。

秋田港はアジア諸国との貿易の重要拠点に

現在の秋田港は工業地帯の中枢として、コンテナターミナルも整備され、中国・韓国・東南アジアなどの国々と貿易を行っています。また旅客ターミナルもあり、韓国、ロシア、北海道との連絡船が定期的に運航されています。

【秋田のおもな港】船川港は国家石油備蓄基地が隣接するエネルギー港湾

いっぽう、秋田港と同じく北前船の時代に要衝として栄えたのが、男鹿半島南部の船川港です。船川港は、岩礁に囲まれて波が少なく、北西に位置する山が日本海特有の北西風を防ぐことから、日本海沿岸を航行する船の避難港としても利用されてきました。

近代港湾としての築港計画は、明治初期にはすでに政府へ具申されましたが、秋田港といずれを先にするか大論争となり、秋田港の築港を待って整備が行われました。

その後、1916(大正5)年に船川線が開通すると物流が盛んになり、1927(昭和2)年に重要港湾に指定され、その3年後には大型船の停泊可能なドックが完成しました。

現在は国家石油備蓄基地の立地によって、エネルギー港湾としての側面が強くなっています。

【秋田のおもな港】能代港はかつて軍事港として利用された

そして能代港は、秋田港と同じく、蝦夷征討の軍事港として使用された歴史をもちます。

江戸時代になると、久保田藩の木材集積地となって発展。能代(旧名は野代)は日本海側有数の港町として栄えました。幕末には外国船出没に対する海防港の役割を担いましたが、明治以降は江戸時代と同様、木材を中心とした交易港となっていたのです。

戦後、米代川(よねしろがわ)の整備とともに港の整備が進められ、1953(昭和28)年には地方港湾に指定されました。

能代港は秋田の産業拠点として重要な存在に

その後、大型船舶の入港を可能にする港湾整備が進み、1981(昭和56)年には能代火力発電所の立地が決定して重要港湾に昇格。現在の能代港とその周辺は、県北部の産業拠点であると同時に、エネルギーの供給拠点にもなっています。

整備が遅々として進まず、近代港湾としての歩みが遅れた秋田県の主要港湾ですが、現在は秋田県のみならず北東北の物流拠点として、いずれも重要な役割を担っています。

秋田県の主要な港

秋田県の主要な港

能代港
県北部の米代川河口に位置する。4 万トン岸壁1バースのほか、4バースの公共岸壁が装備されています。

船川港
男鹿半島南部に位置しており、周囲にはEN EOS 船川事業所、男鹿駅などがあります。

秋田港
県央の雄物川の旧河口に位置します。5 万トン岸壁1バースのほか、4万トン岸壁1バース、29バースもの公共岸壁が整備されています。

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秋田県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。秋田の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く秋田の大地

・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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