更新日: 2024年1月22日
沖縄本土復帰のシンボル 730バスとはどのようなバス?~復帰前日深夜に実施された交通方法変更とは?~
戦後27年間、右側通行だった沖縄の道路は一夜にして左側通行になり、バスも左ハンドルから右ハンドル車に切り替えられました。
その際のバスの交代劇を追います。
目次
沖縄の本土復帰前の路線バス事情
沖縄の路線バスは、1917(大正6)年に那覇~名護間を結んだのが始まりで、那覇~首里間などの便も数社が運行していましたが、沖縄戦により施設は破壊され、会社も消滅しました。戦後は米軍政府が運営する公営バスが運行を開始。車両は、米軍払い下げの軍用トラックの改造車でした。公営バスは1950(昭和25)年に民営化されて沖縄バスとなり、同年から相次いでバス会社が設立されました。
最盛期には14社に及びましたが、1974(昭和49)年までに4社に整理されました。終戦によってアメリカの統治下に置かれた沖縄では、クルマがアメリカと同じ右側通行で、バスも左ハンドル車、運賃もドルで支払っていました。1972(昭和47)年の本土復帰にあたり、アメリカ型の生活様式が改められ、クルマも本土と同じ左側通行に戻すことになり、6年後の1978(昭和53)年7月30日午前6時に実施されることになりました。それが、実施日の7月30日にちなんで「730(ナナサンマル)」と呼ばれる交通方法変更事業でした。
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