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院内銀山は久保田藩の財源の糧
久保田藩領の代表的な鉱山としては、南部の院内銀山(湯沢市)と北部の阿仁(あに)鉱山(北秋田市)が挙げられます。1606(慶長11)年に村山宗兵衛(むらやまそうべえ)らによって発見された院内銀山は、国内随一の産出量を誇り、「東洋一の銀山」との呼び声も高かったのでした。
その最盛期には戸数4000以上、人口は1万5000にまで達し、城下町の久保田(秋田市)をしのぐほどに発展し、「出羽の都」と称されていたといいます。鉱山町という性質上、これだけ多くの労働者人口が周辺の農村から離れた場所で生活をしていたわけであり、久保田藩はこの鉱山社会を年貢米の販売市場として活用し、物価統制をしながら安定的な収入を得る糧としました。
院内銀山で発見された新たな鉱脈
院内銀山の銀産出量は前述のとおり日本随一でしたが、その最盛期は江戸時代初期であり、その後は産出量が減少し、町も衰退していきました。
しかし、幕末近い19世紀になって新鉱脈が発見され、1830年頃からふたたび銀の産出量が増大しました。この事象を指して「天保の盛山」といいます。
阿仁鉱山は久保田藩の財政を支えたもう一つの鉱山
阿仁鉱山は、当初は金山や銀山として稼行していましたが、やはり産出量は減少していきました。
そのかわり、1670(寛文10)年に大坂の商人・北国屋(ほっこくや)の手代であった高岡八右衛門(たかおかはちえもん)によって阿仁鉱山のひとつ・小沢山(こさわやま)から銅鉱脈が発見されました。
久保田藩が銅山を直営化した時期を経て、17世紀後半から18世紀初頭にかけて銅や鉛の産出量は最盛期を迎えます。1716(享保元)年には銅の産出量で日本一となり、1750(寛延3)年の時点では幕府が各藩に課す「長崎御用銅」(海外輸出用の銅)供出のうち、じつに半分以上が久保田藩に割り当てられたほどでした。
尾去沢鉱山は銅山として盛岡藩を支える
盛岡藩領の尾去沢(おさりざわ)鉱山(鹿角市)は、708(和銅元)年に銅山が発見されたとの伝承が残る古い鉱山ですが、江戸時代初期には白根(しらね)金山で金が採掘されていました。こちらも阿仁鉱山と同様、金の産出量は減少していきましたが、1695(元禄8)年に銅鉱脈が発見され、阿仁と同様に日本有数の銅山として発展します。
尾去沢鉱山は約1300年の歴史をもつ
日本で初めて和銅(ニギアカガネ)が産出して朝廷に献上されたのは708(和銅元)年のこと。同年に出羽郡が設置されました。尾去沢鉱山で初めて銅山が発見されたのもこの年で、産出した金は東大寺(奈良県奈良市)の大仏や中尊寺(岩手県平泉町)に用いられたとされています。
尾去沢鉱山での採掘は昭和に入っても続けられ、戦後復興を支えましたが、エネルギー需要の変化にともない、1978(昭和53)年に閉山。現在は史跡として観光名所となっています。
院内銀山、阿仁銅山、尾去沢銅山などの秋田県域の鉱山は、明治以降も経営が続けられ、日本の近代化にも大きく貢献しました。
史跡尾去沢鉱山
- 住所
- 秋田県鹿角市尾去沢獅子沢13-5
- 交通
- JR花輪線鹿角花輪駅からタクシーで10分
- 料金
- 観覧料=大人1000円、中・高校生800円、小学生600円/純金砂金採り体験(30分)=大人800円、小人600円/天然石掘り体験(20分)=550円、850円/(団体10名以上は観覧料1割引、団体50名以上は観覧料2割引、団体の体験は要予約、65歳以上800円、障がい者手帳持参で半額)
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Part.4 秋田で育まれた産業や文化
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