更新日: 2024年1月17日
院内銀山と阿仁鉱山が支えた久保田藩、尾去沢鉱山が支えた盛岡藩!江戸時代の秋田県域の財政を支えた鉱山
江戸時代の秋田県域では、鉱山から莫大な量の金、銀、銅が採掘されました。
久保田藩や盛岡藩は、積極的に鉱山経営に乗り出していきます。
目次
院内銀山、阿仁鉱山、尾去沢鉱山は久保田藩と盛岡藩の財源になった
江戸時代の秋田県域は、その大半を久保田藩(秋田藩)が明治維新まで支配し続けました。そのほかの県域では、鹿角地方には盛岡藩領が広がっていました。
この久保田藩と盛岡藩の財政を支えたのが、秋田県域に存在した鉱山からの収入です。鉱山から産出される金・銀・銅は、幕府貨幣の原料としてだけでなく、長崎からの重要な輸出品目でした。
久保田藩初期のおもな鉱山
佐竹氏は常陸にいた頃の鉱山支配の経験を生かし、秋田に入部(1602年)以降、院内銀山など次々と鉱山の開発を行っていきました。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!