大河兼任が率いた反乱軍
この首謀者の正体は、八郎潟(はちろうがた)東岸の大河(五城目町大川)を本拠とする豪族の大河兼任(かねとう)でした。一説には陸奥国津軽地方の豪族ともされていますが、藤原泰衡(やすひら)の郎党であったことは間違いありません。
7000余騎を率いた大河兼任は、河北(かほく)(雄物川以北)から秋田を経由して、大関山(笹谷峠(ささやとうげ))を越えて多賀(たが)国府(宮城県多賀城市)を制し、そのまま鎌倉まで攻め上ることを企図していました。毛々佐田(ももさだ)(秋田市)から鎌倉方の由利維平(ゆりこれひら)に送った書状には「主人の仇討ち」と明言されており、進軍目的は明白でした。
大河兼任はトラブルに見舞われながらも奮闘
しかし、冬場で凍結した八郎潟を渡ろうとしたところ、志加(しが)の渡(わたし)(山本郡三種町鹿渡(かど))で氷が破れ、5000余が溺死。
進路変更を余儀なくされた大河兼任軍は、小鹿島(男鹿市)へと向かい、鎌倉方の由利維平、宇佐美実政(うさみさねまさ)を討ち取りました。このとき小鹿島の地頭・橘公業(たちばなのきみなり)は抵抗せずに鎌倉へ逃げ帰っていきました。
大河兼任の乱
大河兼任は八郎潟東岸を発ち、1189(文治5)年12月頃、男鹿の大社山と毛々佐田で由利維平を討ったあと、津軽へ向かい宇佐美実政を破りました。
鎌倉幕府による大河兼任包囲網
公業は御家人たちから批判されましたが、源頼朝は無駄死にを避けた公業の判断を評価しました。頼朝としては、手柄を競った御家人が寡兵で挑んで確固撃破されることが起きないように、御家人たちを戒めておく必要があったのでしょう。
頼朝は千葉常胤(ちばつねたね)の東海道軍、比企能員(ひきよしかず)の東山道軍を奥州に向かわせ、さらに足利義兼(あしかがよしかね)を追討使として派遣し、千葉胤正(たねまさ)の大将軍も進発させました。
大河兼任軍の勢力も増大していた
大河兼任軍は津軽方面から陸奥中央部へと進出し、奥州藤原氏の旧拠点・平泉(岩手県西磐井郡)まで達しました。奥州藤原氏の残党を糾合した大河兼任兼任軍は、1万騎にまで膨れあがったといいます。
大河兼任の乱は鎌倉幕府軍の勝利に終わる
大河兼任軍と鎌倉方は、多賀国府より北に位置する栗原郡一迫(いちはさま)(宮城県栗原市)で激突しました。この戦いで壊滅的な敗北を喫した大河兼任は、現在の青森県青森市浅虫周辺の「有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)」(善知鳥崎(うとうざき)の橋)近くの山にたてこもることに。源義経ゆかりの栗原寺(りつげんじ)(宮城県栗原市)まで落ち延びましたが、立派な具足を着ていることを怪しまれ、地元の樵(きこり)に殺害されるのでした。かくして大河兼任の乱は終結しました。
大河兼任に協力した旧奥州藤原氏の勢力を削ぐことができた頼朝は、伊沢家景(いさわいえかげ)を陸奥国の留守職に任じ、奥州総奉行の葛西清重(かさいきよしげ)とともに奥州での支配体制を確立させ、東北地方における鎌倉政権の影響力を強めていくのでした。
八郎潟東岸の巨大製鉄炉跡
1998(平成10)年、八郎潟東岸の琴丘町(現・三種町)の堂の下遺跡から、鎌倉時代初期の鉄及び鋳物生産関連の遺構・遺物が発見されました。
発掘調査では砂鉄を蓄えた穴、木炭を生産する炭窯、砂鉄から鉄塊をつくりだす製鉄炉、鉄塊を溶かす溶解炉などが確認されました。製鉄炉の構造が新潟県北沢遺跡のものと似ていることから、北陸方面から技術が伝播したと考えられています。
また、溶けた鉄を注いで鍋をつくりだすための鋳型が多数出土。鉄の原料採取から製品生産まで一貫して行われた中世の遺跡としては、本遺跡が日本最北の例です。
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