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清原氏が活躍した「前九年合戦」

この時期に陸奥北部で広大な領域を支配していたのが安倍氏です。「酋長(しゅうちょう)」を自称する俘囚長の安倍氏は、奥六郡(おくろくぐん)(岩手、志和(しわ)、稗貫(ひえぬき)、和賀(わが)、江刺(えさし)、胆沢(いさわ))を支配し、朝廷から「六箇郡の司」の地位を認められていました

ですが、安倍氏は独立心が強く、次第に朝廷に従わなくなっていきます。その結果、1051(永承6)年に朝廷は安倍氏を諫めるために、陸奥守・藤原登任(なりとう)に奥六郡への出陣を命じるのでした。この戦いを「前九年合戦」といいます。

緒戦で敗北を喫した朝廷側は、藤原登任を更迭し、河内源氏(かわちげんじ)初代棟梁・源頼信(よりのぶ)の嫡男である源頼義(よりよし)を陸奥守に任じて安倍氏討伐にあたらせました。源頼義は安倍頼時(よりとき)を討ったものの、その後は苦戦が続き、清原氏に協力を要請するのでした。

清原氏は安倍氏鎮圧に多大な貢献をした

清原氏当主の光頼(みつより)は、当初は中立的な立場を貫いていましたが、源頼義が「奇珍の贈物」を続けて、繰り返し参戦を依頼してきたため、1062(康平5)年、ついに弟・武則(たけのり)を派遣します。

清原氏の参戦で形勢は逆転し、朝廷軍はまたたく間に安倍氏の拠点である厨川(くりやがわ)の柵や嫗戸(うばとの)柵(ともに岩手県盛岡市)を攻め落とし、安倍貞任(さだとう)を破りました。清原氏の参戦からわずか1カ月で、安倍氏は滅亡に追い込まれたことになります。

清原氏の家督争い「後三年合戦」

戦後、清原武則は鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任じられ、安倍氏の旧領を併合して北東北を支配する実力者となりました。

その後、武則の子・武貞(たけさだ)が没すると、1083(永保3)年に3人の子(真衡(さねひら)、家衡(いえひら)、清衡(きよひら))のあいだで後継者争いが勃発。三子のうち清衡は、武貞が安倍頼時の娘を娶(めと)ったときの連れ子(父親は安倍氏一門の有力豪族・藤原経清(つねきよ))でした。この家督争いを「後三年合戦」といいます。

後三年合戦

後三年合戦
『図説 秋田県の歴史』(河出書房新社、1987年)を元に作成

1086(応徳3)年、源義家は大軍を引き連れ、家衡がたてこもった沼柵を攻めましたが落とせませんでした。家衡は叔父・武衡のすすめで金沢柵に移り籠城しましたが、1087(寛治元)年に義家軍の猛攻により落城しました。

清原氏の滅亡と奥州藤原氏の始まり

後三年合戦は、源義家(よしいえ)(頼義の子)を味方につけた清衡が勝利し、合戦後、清衡は清原氏の旧領をすべて受け継ぎ、現在の青森県、岩手県、秋田県のほぼ全域を支配することになりました。

さらに実父の姓に復して藤原清衡と名乗りを改めました。これが奥州藤原氏の始まりです。奥州藤原氏は平泉(岩手県西磐井(にしいわい)郡)を中心に独自文化を花開かせていきますが、清原氏はこの合戦で滅亡したことになります。

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