更新日: 2024年1月17日
秋田城はかつての出羽柵が遷置・整備されてその名が付いた!?
古代の秋田県域は、ヤマトと蝦夷の国境地帯でした。
律令国家の成立とともに、その支配領域は北へと拡大していったのです。
ヤマト王権と大化の改新
3~4世紀に畿内に興ったヤマト王権は徐々に勢力範囲を拡大していき、北は越国にまでその影響力を及ぼしていました。越国とは現在の新潟、富山、石川、福井の4県にまたがる広大な範囲に相当します。
ヤマト王権では豪族を中心に政治が行われていましたが、645(大化元)年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が政敵の蘇我(そが)氏を暗殺し(乙巳(いっし)の変)、大王(天皇)を中心とする律令国家の成立をめざしました。この国政改革を「大化の改新」といいます。
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