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更新日: 2024年1月17日
秋田の古代史~旧石器時代に人々が住み始め7世紀には蝦夷侵攻の前線拠点になった
古代の秋田県域では、河川流域に人々は住居を求め、次第に社会が形成されていきました。
やがて対蝦夷の前線拠点として争乱の地となっていきます。
目次
【秋田の古代の歴史①】旧石器時代の遺跡と出土品
現在の秋田県域に人が住み始めたのは、今から約3万5000年前の旧石器時代からとされています。1969(昭和44)年から5次にわたって行われた米ヶ森(よねがもり)遺跡(大仙市)での発掘調査の結果、石器・石核(せっかく)・石片など1000点近い遺物が発見され、秋田における旧石器時代研究は大幅に進みました。
旧石器時代のナイフ形石器には、東山遺跡(山形県西置賜(にしおきたま)郡)から出土した「東山型」、杉久保(すぎくぼ)遺跡(長野県上水内(かみみのち)郡)出土の「杉久保型」などの分類があり、米ヶ森遺跡から見つかったものは両者の特徴をあわせもつことから「米ヶ森型台形石器」と命名されました。
氷期が終わり世界的に気温が上昇すると、動物相や植物相が現在の自然環境に近づき、人々は移動しながらの狩猟生活から、定住する暮らしを選ぶようになります。日本では約1万年前頃の温暖化にともなって定住化が進み、小規模の集落を形成し、土器や弓矢、磨製石器を使用するようになりました。
旧石器時代の遺跡の多くが、日本海に注ぐ北部の米代川、南部の雄物川と子吉川流域に点在しています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
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