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羽後交通・雄勝線の歴史

雄勝線は、湯沢(ゆざわ)〜梺(ふもと)間の11.7㎞を結んだ電化路線でした。沿線の農産物などを輸送するため、1925(大正14)年に雄勝鉄道が発足。1928(昭和3)年8月に湯沢〜西馬音内(にしもない)間が開業したのが始まりです。

当初から営業不振で、電気料金を滞納し送電がストップされ、蒸気機関車を借り入れて運転をするなど苦境に立たされました。それでも、1935(昭和10)年には梺駅まで全通。

戦時中には、国策として横荘鉄道(後述)およびバス事業者15社と合併し、1944(昭和19)年5月に羽後鉄道となりました。そして、戦後の1952(昭和27)年2月には羽後交通へと社名変更されます。

羽後交通・雄勝線の全盛期と廃止までの経緯

以後は好調な成績を収め、高度経済成長期の好景気に乗り利用者が増加。朝のラッシュ時には、通常の単行では間に合わず、客車2両を牽引したほどでした。

しかし、モータリゼーションの進展により利用者は徐々に減少。1967(昭和42)年12月には西馬音内〜梺間が廃止。追って全線が廃止される予定でしたが、反対の声が上がり、すでに廃止されていた横荘線の内燃車両を転入、電気運転を廃止する合理化を図り延命。これも沿線の道路整備が完了するまでとの取り決めにより、1973(昭和48)年3月限りで廃止されました。

羽後交通・横荘線の歴史

横荘線は、横手(よこて)〜老方(おいかた)間38.2㎞を結んでいた非電化路線です。前身は横手鉄道で、1916(大正5)年に横荘鉄道に社名変更しました。

横荘線は、岩手県の釜石(かまいし)〜横手〜本荘(ほんじょう)と東北横断の壮大な計画で建設が始まり、1918(大正7)年8月に横手〜沼館(ぬまだて)間を開業。翌年7月に舘合(たてあい)駅、1920(大正9)年3月には羽後大森(うごおおもり)駅と延伸を繰り返し、1930(昭和5)年10月に老方まで延伸しました。

しかし、すでに開業していた横荘鉄道西線とは結ばれることはなく、1943(昭和18)年10月に雄勝鉄道と合併し横荘線となります。のちに羽後鉄道、羽後交通と社名を変更しながら横荘線として活躍しました。

羽後交通・横荘線の廃止までの経緯

蒸気機関車時代を経て、戦後はおもにディーゼル機関車が客車を牽引、あるいは気動車による運転で、客車には暖房用に火鉢が使用されるなど、のどかな情景が見られました。

しかし、1965(昭和40)年7月の集中豪雨により、舘合〜二井山(にいやま)間に架かる雄物川(おものがわ)橋梁が被害を受け、翌年2月の河川増水により雄物川橋梁第9橋脚が倒壊。同区間が6月に廃止されます。

これにモータリゼーションの進展が加わり、1971(昭和46)年7月までに全線が廃止されました。

羽後交通・雄勝線と横荘線の廃線後の姿

両線ともに廃線跡がよく残り、鉄橋の橋台が現存する場所も多くあります。湯沢駅など奥羽本線との接続部分にも名残が見られ、横荘線では一部の駅跡に記念碑も建立されています。

羽後町西馬音内堀回(うごまちにしもないほりまわり)の「旧雄勝線電車車両保存庫」には、開業時から雄勝線で活躍したデハ3が美しい状態で保存展示され、往年の活躍を後世に伝えています。

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