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由利高原鉄道の歴史

由利高原鉄道は、本荘〜横手間を結ぶ横荘(おうしょう)鉄道が1922(大正11)年に横荘鉄道西線として羽後本荘〜前郷(まえごう)間を開業させたことに始まります前身は横手鉄道で、1916(大正5)年に社名変更しました。

横荘鉄道は、岩手県の釜石から横手・本荘を結ぶ東北横断の壮大な計画で建設を開始。まず、1918(大正7)年8月に横手〜沼館(ぬまだて)間を開業し、1930(昭和5)年10月に老方まで延伸。しかし、横荘西線と結ばれることはなく、同区間は羽後交通横荘線となりましたが、それも1971(昭和46)年に廃止されています。

他方、横荘鉄道西線は、1937(昭和12)年9月に国有化され国鉄矢島線となります。同年12月に西滝沢(にしたきさわ)まで延伸し、1938(昭和13)年10月に羽後矢島駅(現・矢島)まで開業します。以後、地域輸送に徹して活躍しましたが、1981(昭和56)年に第一次廃止対象特定地方交通線に指定され廃止が承認されます。そして1985(昭和60)年10月、第三セクターの由利高原鉄道に転換され鳥海山ろく線が開業しました。

由利高原鉄道鳥海山ろく線の車両の特徴

開業にともない、車両を軽快気動車に取り替え「おばこ」の愛称で運転を開始。明るい再スタートとなり、以来、長らく利用者に親しまれています。

2009(平成21)年からは、一部の列車に女性アテンダントが乗務。着物をまとった「秋田おばこ」姿で接客し、秋田県外からの利用客に好評です。

車両も新型のYR-3000形を導入。大型テーブルのあるクロスシートを中央に配置し、イベント列車としても運転ができる楽しい車両として人気があります。

また、全3両の座席の模様は、由利本荘市の特産品である「ごてんまり」「杉組子細工」「刺し子」がイメージされていて、自然と心が温まります。

由利高原鉄道のタブレット閉塞は貴重な鉄道遺産!

由利高原鉄道は、列車だけでなく設備にも大きな特徴があります。それは「タブレット(通票)閉塞(へいそく)」です。

タブレット閉塞とは、衝突事故を防ぐため、駅間などを閉塞区間として区切り、「ひとつの閉塞区間にはひとつの列車しか入ってはいけない」ルールによる、完成度の高い保安システムです。閉塞区間は、金属製の円盤の通票(タブレット)を携帯した列車だけが走行可能。閉塞区間の両駅にはタブレット閉塞機があり、両駅の閉塞区間が電気的に結ばれることで、収納されているタブレットが1枚だけ取り出し可能となり、列車に携帯させるしくみです。羽後本荘〜前郷間では、革製のキャリアに入ったタブレットの授受や、駅の事務室に設置されたタブレット閉塞機が今も見られます。

タブレット閉塞は導入された明治期以降、日本中の鉄道で見られましたが、のちに普及した自動閉塞などに変わり、現在、国内では由利高原鉄道と青森県の津軽鉄道、熊本県のくま川鉄道のみで使用されているだけ。今や貴重な鉄道遺産です。

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Part.1 地図で読み解く秋田の大地

・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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