雄物川とは
雄物川は、秋田県南東部の奥羽山脈に源を発し、北西に流れて秋田市で日本海に注ぐ長さ約133㎞の河川です。
この雄物川が運んだ土砂が堆積してできた沖積地は秋田平野の南北にわたって分布しており、幅は北部では約2㎞と狭く、南部では約7.5㎞と広くなっています。南部では、洪水が起こる低地(氾濫原(はんらんげん))を流れる川の両側に自然に土砂が堆積してできる自然堤防が発達していますが、北部ではあまり見られません。
秋田平野の地下にある谷
この秋田平野の地下には、基盤となる新第三紀(約2303万~258万年前)の地層を削ってできた深い帯状のくぼ地(谷)があることがわかっています。この地下に埋没した谷は、雄物川がかつて流れていた跡と考えられ「先雄物川谷」と呼ばれています。
先雄物川谷は幅500~700mに達し、谷底の深さは平野中央部で約60m、北部で70m以上、南部ではおよそ50mに及ぶと推定されています。
秋田平野の埋没段丘
さらに秋田平野南部の秋田市四ッ小屋(よつごや)地区、牛島地区の地下20mには、新第三紀層が削られてできた平坦な侵食面があることがわかっています。この侵食面の上には厚さ5~10mほどの砂礫層が堆積しており、埋没段丘だと考えられています。
埋没段丘とは、かつて海面が低下した時期に川や海の侵食によって河岸段丘や谷が形成され、その後再び海面が上昇したときに、堆積した土砂などによって埋められた谷や段丘のことです。
四ッ小屋付近、牛島付近の埋没段丘は、氷期に海面が下がったとき、川に侵食されてできたものと考えられ、それぞれ四ッ小屋段丘、牛島段丘と呼ばれています。
このような谷や段丘などの地形が、川による堆積物で埋め立てられ、現在の秋田平野が形成されたと考えられています。
雄物川の氾濫
いっぽう雄物川は、流路が堆積物で埋め尽くされたことにより、秋田平野全体を蛇行して流れ、氾濫を繰り返すようになりました。現在も雄物川は、横手盆地西端から秋田平野東端までの約50㎞にわたって激しく蛇行しています。
近代に至るまで雄物川は氾濫を繰り返し、流域には氾濫によって形成された河跡湖、旧河道、後背湿地、自然堤防、河岸段丘などが数多く残されています。
雄物川の現在
現在、雄物川は秋田平野に入ると秋田市の南西部、新屋(あらや)付近で日本海へと注ぎます。これは大正から昭和初期にかけて人工的に開削(かいさく)され、1938(昭和13)年に完成した放水路です。これにより、洪水の流れを直接海に流し出せるようになり、水害が減りました。
氾濫によって周囲に大きな被害を与えてきた雄物川ですが、田畑を潤し、大きな恵みももたらしてきました。秋田平野にとって雄物川は、太古から近代に至るまで平野を形成してきた母なる川なのです。
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