更新日: 2024年1月18日
井波彫刻はどんな彫刻?~瑞泉寺再建から始まり聖徳太子とも関係が深かった~
瑞泉寺は、三度の火災に見舞われながらも再建され、北陸最大の伽藍を誇ります。その門前町として栄えた井波は伝統ある彫刻の里。寺には至るところに優れた彫刻が残されています。
井波彫刻と井波別院瑞泉寺の関わり
南砺市井波地区は、彫刻のまち。地区の中心・八日町通りには多くの彫刻工房が並び、木槌の音が聞こえてきます。街並みには木彫りのバス標識や木彫りの表札が溶け込んでおり、木彫りの里らしさを感じられます。
井波彫刻の歴史は、ある寺と深い関わりがあります。明徳元(1390)年、本願寺5代・綽如上人(しゃくにょしょうにん)によって建立された真宗大谷派(東本願寺)井波別院瑞泉寺(ずいせんじ)です。
井波彫刻の始まり
この寺は幾度となく焼失の憂き目に遭い、その都度再建されてきました。宝歴12(1762)年の大火で2度目の焼失となりますが、京都から本願寺御用大工の前川三四郎(まえかわさんしろう)が派遣され、再建に力を尽くしました。このとき、井波の地元大工ら4人が再建に参加しており、三四郎から彫刻の技法を習得したことが井波彫刻の始まりです。
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