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林忠正は日本美術をいち早く世界に発信したジャポニズムの立役者 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月18日

林忠正は日本美術をいち早く世界に発信したジャポニズムの立役者

明治時代、浮世絵は卑しいものとして日本人にすら価値を認められていませんでした。しかし、それらの日本美術を率先して欧州へ広め、審美眼をフランスで称えられた人物がいました。

林忠正は西欧にジャポニズムを広めた日本美術の立役者

19世紀後半、欧米では日本の美術品や工芸品を愛好する動きが見られるようになりました。こうした影響は「ジャポニズム」と呼ばれ、マネやモネ、ゴッホやセザンヌといった有名な画家たちにもインスピレーションをもたらしました。日本の美術発展に貢献した人物といえば、岡倉天心フェノロサの名前が挙がるでしょう。しかし、そこに並べても遜色ないほどジャポニズムを広めたのが、現在の高岡市に生まれた林忠正です。

林忠正の生い立ち

蘭方医・長崎家の次男として、忠正は嘉永6(1853)年に生まれました。のちに富山藩士・林家の養子となり、大学南校(東京大学の前身)に通った林忠正はもともと法律家を志していましたが、当時は法律学と政治学にフランス語が不可欠だったため、同時にフランス語も学ぶこととなりました。転機が訪れたのは25歳の頃。従兄弟のパリ留学に触発されて、林忠正も単身パリへと渡ります。生家の長崎家にて蘭学者であった祖父や義父の影響を受け、もともと海外への憧れは胸にあったようです。

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