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富山が昆布とかかわることとなったきっかけ

富山藩の主要産業であった売薬と北前船は、深い関りがあります。北前船は、おもに西廻り航路を通り、蝦夷地(北海道)と大坂を結んで物品を輸送した船。売薬商人たちは街道を歩いて諸国へ行商に出かけていました、江戸時代後期には北前船を移動手段とし、また、大坂に入ってきた薬種を運び入れる手段としても活用しました。

富山の行商人は他藩との営業に苦慮

しかし、交通手段があるからといって行商は順調だったわけではありません。藩をまたいで行商をおこなうためには、富山藩と旅先の藩の両方で許可を得る必要がありました。江戸時代後期は財政が逼迫した藩が多く、各藩は自国産の品物を奨励し、他藩とのやりとりを極力抑えるように努めていました。この影響は売薬商人にも波及し、行商先ではたびたび営業の差し止めを受けることになりました。差し止めを解除あるいは予防すべく、行商人たちは相手藩にとって利益になるような策を講じ、なんとか営業に漕ぎつけなければなりませんでした

富山の行商人は昆布を薩摩藩へ卸すことで営業許可を得る

薩摩藩もまた、人や物の流入に対する警戒が強い藩でした。財政悪化に苦しむ薩摩藩は、琉球を通して中国との密貿易をおこなっていました。そんな中、薩摩藩が着目したのが蝦夷地から北前船で運ばれる昆布。ヨウ素やカルシウムが豊富な昆布は、中国では不老不死の薬として珍重され、中国がほしがっているものでした。幸い、西廻り航路によって、富山の寄港地には蝦夷地からの昆布が入ってきます。そこで薩摩藩は、かねてより藩内に出入りしていた富山の売薬商人に、蝦夷地の昆布を薩摩へもたらすことを行商の条件としました。

富山は昆布を薩摩経由で中国へ、薩摩経由で中国から薬種を入手

薩摩の売薬を中心となって担っていたのが、富山の有力商家だった密田家です。密田家差配の売薬人たちは、蝦夷地で昆布を仕入れ、西廻りだけでなく東回り航路も使って大坂へ向かい、薩摩へ昆布を運ぶようになりました。そして昆布は薩摩から琉球を介して中国へ送られ、中国からは薬種がもたらされ、富山の売薬商人へと渡っていきました

昆布が北海道から各地へ運ばれた航路は「昆布ロード」と呼ばれます。薩摩藩により、琉球王国を経由して清(中国)まで運ばれました。

富山藩から送られる昆布の薩摩藩での重要性

北海道から富山への昆布輸送資金として薩摩藩主からの助成を受けていたことから、昆布が薩摩藩にとってどれだけ重要だったかが分かります。それもそのはずで、薩摩藩は中国との密貿易で得た巨額の利益で財政を立て直し、倒幕資金をため込んでいたといわれています。後に薩摩藩が明治維新を牽引することになった歴史を考えれば、富山の売薬商人たちが担っていた役割は大きいものでした。

富山に昆布が浸透した理由

北前船の寄港地だった富山には、もともと昆布が運び込まれていました。さらに、こうした薩摩藩との交易も加わって富山には大量の昆布が入ってくることになり、おのずと昆布消費量が増えました。
明治時代には、富山県から全国各地に移住する人や出稼ぎに行く人が増え、その中でも北海道で漁業に従事する人が多く、昆布の産地・羅臼町の7割以上が富山県出身者だったといわれています。そういった人々が地元の家族や親戚に昆布を送るといった交流も続けられて、昆布は富山県民に浸透。とろろ昆布のおにぎりや昆布巻きかまぼこに代表されるように、今や富山に欠かせない食文化となっていきました。

富山の産業すべての根幹は売薬?

昆布と売薬の関係が密接であったように、富山には売薬をもとに発展した産業が多くあります。たとえば明治中期以降に出現したガラス瓶製造業です。ガラス瓶は薬の容器として用いられていましたが、それ以外の需要が多くなると、戦後はプラスチック容器を作り始め、多様に展開。金属容器についても、ブリキ缶・アルミ缶から一般容器の製造へ移行しました。また、薬袋や進物の版画をつくるのに必要だったのが和紙。紙づくりが盛んだった八尾などの地域から紙を仕入れていたため、紙づくりもまた売薬とともに発展した産業です。印刷や包装においては特殊印刷の技術が発展し、薬袋や薬箱も進化。これが現在のデザインパッケージ産業へと繋がり、「ますのすし」などに見られる優れたパッケージを生み出しました。

富山の有力者も売薬関係者

黒部ダムに象徴される電力と関わりがあるのはアルミ産業ですが、富山県で初めて完成した大久保発電所を建設した富山電燈の出資者は有力な売薬商人でした。明治期、富山に設立された第百二十三国立銀行の役員や北陸銀行の初代頭取も、薬種商や売薬業者の有力者。多彩な産業の枝葉を辿れば、その根幹に売薬があると言っても過言ではありません。

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Part.1 地図で読み解く富山の大地

・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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