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立山曼荼羅は立山信仰を説くテキスト

立山周辺には参拝者のための宿坊が立ち並び、岩峅寺(いわくらじ)、芦峅寺(あしくらじ)という2つの宿坊集落が生まれました。各宿坊の衆徒らが人々に立山信仰を説話する際に用いられたのが立山曼荼羅で、これは「絵解き」と呼ばれました。
つまり立山曼荼羅は、単なる宗教画というよりは、立山信仰がどんなものかを人々に教え説くためのテキストでした。

立山曼荼羅の岩峅寺系と芦峅寺系の違い

岩峅寺の衆徒は領内中心の布教を、芦峅寺は全国への布教をおこなっており、曼荼羅の内容にも少しずつ違いが見られます。立山曼荼羅に岩峅寺系や芦峅寺系といった分類があるのもこのためです。現在、立山曼荼羅は全国で約50点の作品が確認されており、たとえば同じ芦峅寺系であっても、作風や構図はそれぞれ異なっています。

立山曼荼羅に共通して描かれる「立山開山伝説」

共通して描かれているのは、立山開山伝説。越中守(えっちゅうのかみ)だった佐伯有若(さえきありわか)の息子・佐伯有頼(ありより)が、父の白鷹で鷹狩りをしていたら、その白鷹が飛び去って行方を失ってしまいます。白鷹を探してようやく見つけたところに熊が出没し、鷹が再び飛び去ったため、怒った有頼は熊に矢を放ち、熊は山へと逃げていきました。有頼は熊を追って山へ入り、岩屋に追い詰めると、そこには胸に矢が刺さった阿弥陀如来が立っていました。熊が阿弥陀如来の仮初の姿であったことを知った有頼は深く嘆きますが、阿弥陀如来は有頼を導くために姿を変えていたと言い、僧侶になって立山への信仰を拓けと有頼に説きました。これに感動して有頼は発心し、出家した後に慈興上人(じこうしょうにん)となって立山信仰を広めていったとされています。この開山の物語から、有頼が熊を追う姿や、阿弥陀如来を拝する姿などが曼荼羅に描かれています

立山曼荼羅と地獄

地獄の場面もまた、立山曼荼羅を象徴するものです。立山の特徴は、そこに地獄があるとされてきたことです。

火山活動の影響で火山ガスの噴気が上がり、熱湯が沸き、異臭が立ち込める「地獄谷」は、「立山地獄」とも呼ばれてきました。弥陀ヶ原にある数々の池は「餓鬼(がき)の田」と呼ばれ、地獄に墜ちた餓鬼が飢えをしのぐために作った田と考えられていたのも興味深いです。室堂の「血の池」は、池の水や底の泥が酸化によって赤みを帯びており、立山地獄の1つ「血の池地獄」とされてきました。これは女性が墜ちる地獄であったため、女性たちは救われたい一心で、血盆経(けちぼんきょう)(女性救済のための経典)を池に奉納したり、護符を購入したりしました。このように地獄というキーワードと立山を切り離すことはできず、曼荼羅に生々しく表現されています

立山曼荼羅の吉祥坊本

芦峅寺の宿坊「吉祥坊」に伝わってきた立山曼荼羅。慶応2(1866)年に吉祥坊と師檀関係を結んでいた江戸幕府の老中も務めた本多忠民(三河国岡崎藩主)が同坊に寄進したものです。立山の山岳景観を背景に、閻魔大王や鬼などの立山地獄、佐伯有頼の立山開山縁起、布橋灌頂会の様子などが描かれています。

立山信仰の男女差

驚くべきことに、明治時代になるまで女性は立山を含む多くの霊山に足を踏み入れることすら許されていませんでした。月経や出産時の出血は穢れとみなされたためです。男性は立山に入ることで擬似的に死者となり、禅定(ぜんじょう)登拝によって自分の罪を滅ぼして下山し、死後の極楽往生を願います

立山信仰の女性信者のための「布橋灌頂会」

一方、女性は立山へ入れず、罪滅ぼしができません。そこで、芦峅寺の衆徒らが考案したのが「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」という儀式です。全国から集まったとされる女性参詣者は懺悔の儀式を受け、この世とあの世の境界とされた布橋を渡ります。渡った先にある「うば堂」は立山に見立てられたもので、堂内でさらに儀式を受けます。この一連の流れは、男性の禅定登拝と同等の儀礼とされ、参加した女性たちには極楽往生が約束されます。

加賀藩領ではなくなった後は庇護がなくなり、明治5(1872)年に女人禁制も解かれたためにこの儀式は廃止されますが、布橋は昭和45(1970)年に復元され、布橋灌頂会の復元イベントも現在は3年ごとに開催されています。

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・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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