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甲府盆地の地形
甲府盆地を囲む形で、北および北東側に関東(秩父)山地、その南側に御坂山地(みさかさんち)、西側を赤石山脈の前山である巨摩山地(こまさんち)と、2000~3000m級の山峰がその高さを競うように並び立ちます。盆地の西縁と南東の縁には活断層による崖があり、その南は隆起した丘や台地からなります。
また、甲府盆地内には赤石山脈を源流とする釜無川が北西から、関東山地を源流とする笛吹川が北東から、この他にも多くの中小河川が流入して、たくさんの扇状地を形成しています。
甲府盆地の地形の構造
甲府盆地は“天然の水がめ”と言われるほど水資源が豊富です。
甲府盆地は、前出の西と南東の活断層を境に、山側が隆起し平野部が沈降する地殻変動により形成された構造盆地です。沈降に伴って形成された平野部の地下はもともと深い凹地で、そこに河川によって周囲の山地から運び込まれた砂礫や、盆地の北にある黒富士の噴火による火砕流堆積物、北西の八ヶ岳の崩壊による韮崎岩屑流堆積物などが埋まり、平野となったのです。
そもそも、山梨県の地質はマグマが冷えて固まった花崗岩や安山岩といった火成岩などからなる基盤岩類と、砂、小石、粘土などからなる堆積物の2つに大きく分けられます。基盤岩類は水を通しにくい不透水性であり、堆積物は不透水性基盤を覆うように甲府盆地や八ヶ岳、富士山などの火山山麓地、主要河川沿いに広がっています。ここに雨や河川の水が浸透することで、豊富な地下水を形成しています。
厚く堆積した砂や礫は極めて水を通しやすい性質をもっているため、甲府盆地はスポンジを敷き詰めた洗面器のような地下構造になっていて、降った雨や流れ込んだ水の多くが巨大な地下貯水池に蓄えられるというわけです。
これが、“天然の水がめ”と言われるゆえんです。
甲府盆地はミネラルウォーターの産地
甲府盆地周辺はミネラルウォーターの産地としても知られていますが、その豊富な水が多くの産業に恩恵をもたらしてきたことは言うまでもありません。
その反面、古来人々は川の氾濫などの水害に幾度となく苦しめられており、武田信玄もその防止策として信玄堤を残しています。
山梨県の地質
甲府盆地には扇状地が多く、県中央部から北部にかけて基盤岩石の花崗岩類が広く分布しているのがわかります。
そのほか、中生代から新生代古第三紀にかけて堆積したもっとも古い地層である四万十層群が、南アルプスと関東山地に分布し、次に堆積したのが新生代第三紀中新世の御坂層群で、続いて新生代第三紀中新世から鮮新世にかけて、泥岩・砂岩・礫岩を中心とした富士川層群が峡南地域に堆積しています。
甲府盆地の地形が現在のようになるまで
では、なぜ甲府盆地が現在のような形状になったでしょうか。その発端は今から2000万年ほど前、まだ日本列島が大陸と繋がっていたころにまで遡ります。
甲府盆地はユーラシアプレート、北アメリカプレート、フィリピン海プレートの3つのプレートが重なり合う場所にあり、フィリピン海プレートが南から衝突し、本州側のユーラシアプレートに沈み込んでいき、谷のような凹地をつくり出しました。
さらに約1900万年前ころ、日本列島は大地の裂け目であるフォッサマグナを境に、西日本は時計回りに、東日本は反時計周りに回転することで「く」の字形に折れ曲がったのです。東日本と西日本から逆方向に引っ張られることで、このあたり一帯の大地が割れてしまいます。その割れ目が、逆三角形に窪んだ甲府盆地の原型となったといわれています
フォッサマグナを境に日本列島は折れ曲がり、左右に引っ張られ続けました。
甲府盆地の地形は隆起し続けている
また、温泉掘削時のボーリング調査によると、盆地周辺の山々をつくっている花崗岩や安山岩と同質の岩石が地下1000m付近に見られ、200万年の間で盆地と周辺の山々が3000m以上もずれてしまったことがわかっているといわれます。
現在でも周辺の山々は年間で2~4㎝隆起し続けており、平野部は2㎝ほど沈降しているという甲府盆地。数百年後には、甲斐の都から眺める周囲の山々は、今より少しだけ高く見えるかもしれません。
山ばかりなのになぜ山梨(無し)県?
山梨県は1871(明治4)年の廃藩置県で、甲斐国から一度「甲府県」を経て現在の名前になりましたが、「山梨」の由来には諸説あります。
ひとつはその昔、甲斐の国司がいた甲府市周辺が盆地であったため「(山地なのに)山なし」という言葉を残したという説。
もうひとつは、甲斐国では古来、朝廷にこの地でよく育っていた青梨を納めていたからというものです。平安時代の歌人・能因法師は、この地を訪れた際に「甲斐がねに咲きにけらしな足ひきの 山梨岡の 山梨の花」という歌を残しており、古くからこの地の山々に青梨が花を咲かせていたことは確かなようです。
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Part.1 地図で読み解く山梨の大地
・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」
…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網
・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号
…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間
・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”
…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。
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