更新日: 2024年1月21日
富山の鉱山「越中の七かね山」は越中に存在した加賀藩極秘の黄金郷
加賀藩の財政に大きく貢献したといわれるのが、越中にあった7つの鉱山。あまりにも加賀藩にとって重要であったため極秘とされ、史料はほとんど残っていないとされています。
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富山の銅山「越中の七かね山」
江戸時代、越中には有名な鉱山がありました。なかでも新川(にいかわ)地域の松倉(まつくら)・河原波(かわらなみ)・虎谷(とらだに)・下田(げだ)の金山、吉野(よしの)・亀谷(かめがい)の銀山、長棟(ながと)の鉛山は、まとめて「越中の七かね山」と呼ばれ、日本でも最大級の産出量を誇っていました。加賀藩の経済にも大きな影響を与えたため、加賀藩のドル箱だったともいえます。
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