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富山の遺跡&古墳は個性派ぞろいで考古学上に残るスゴイものも!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月21日

富山の遺跡&古墳は個性派ぞろいで考古学上に残るスゴイものも!

富山県の遺跡や古墳の数はそれほど多くありませんが、特徴的なものが多くあります。断崖の洞窟住居、国内最大級の竪穴式住居、謎の多い前方後円墳など、古代のユニークな遺産を訪れてみよう。

富山の遺跡を代表する大境洞窟住居跡

氷見市大境(おおざかい)漁港の北側に位置する白山社(はくさんしゃ)。その本殿に覆いかぶさるように、大境洞窟住居跡があります。高さ約8m、幅約16mの海食洞窟で、縄文時代前期に形成されたものです。大正7(1918)年、白山社の改築工事の際に、人骨や土器、大きな石棒などが多数出土したことで発掘調査がおこなわれ、これが日本で最初の洞窟遺跡発掘調査となりました。

灘浦海岸に面した洞窟の複合遺跡。

大境洞窟住居跡は日本の考古学史に残る発見

大境洞窟住居跡は日本の考古学史に残る発見

大境洞窟は、落盤によって地層がはっきりと分かれています。縄文土器を含む層が弥生土器を含む層よりも下にあり、このときまだ解明されていなかった縄文文化と弥生文化の新旧を決定づけるきっかけとなったため、大境洞窟は日本の考古学史に残る発見といわれています。

大境洞窟住居跡は弥生時代を代表する遺跡

現在確認されているのは6層。第6層が最下層であり、ここからは縄文時代中期から後期までの土器や石器が出土しています。第5層は縄文時代後期から弥生時代後期の土器や石器、さらに骨角器や人骨を含む動物遺体が多く出土。特に人骨には、抜歯の痕跡が見られ、頭骨には赤い塗料が付いており、弥生時代の身体装飾や風習の研究で注目を集めました。第4層から最上部の第1層までには、弥生時代中期から中世に至るまでの遺物が見つかっています。つまり、縄文土器から中世までの長い間、ここで人類が生活していたことになり、1カ所の遺跡からこれだけ異なる時代の出土品が発掘されるのは極めて稀です。特に弥生時代に関する遺物が多いため、弥生時代を代表する遺跡の1つといえます。

大境洞窟住居跡

住所
富山県氷見市大境駒首
交通
JR氷見線氷見駅から徒歩4分の氷見駅口バス停から加越能バス灘浦海岸方面行きで24分、大境下車、徒歩3分
料金
情報なし
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