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イタイイタイ病の原因カドミウムは神岡鉱山採掘時の副産物
明治7年(1874)年から、三井組(後の三井金属鉱業)の経営となった神岡鉱山では、鉛鉱・亜鉛鉱の採掘・選鉱・精錬がおこなわれていました。カドミウムは、亜鉛を取り出す際の副産物。自然界では岩石の中に閉じ込められていますが、亜鉛の製錬過程で流出し、神通川を伝って、その中下流域に被害をもたらします。
イタイイタイ病はカドミウムの慢性中毒によって発症
昭和42(1967)年からイタイイタイ病の患者認定が始まり、現在では200名が認定されましたが、この病は大正から昭和初期には発生していたと推測されていることから、認定開始以前から多くの患者がいたと推測されます。この病気は、カドミウムの慢性中毒によって、まず腎臓に障害が発生し、次に骨軟化症を引き起こすというもの。妊娠や授乳、内分泌の変調、老化、栄養としてのカルシウム不足などが加わって病気を進行させると考えられています。患者は圧倒的に女性の割合が多く、簡単に骨折するほど重篤な状態になる人もいました。
イタイイタイ病は壮絶な痛みを伴う
壮絶な痛みをともなったため、「息を吸うとき、針1000本か2000本で刺すように痛い」という患者の言葉も残っています。脊椎が押し潰され、身長が30㎝短くなった例もあったといいます。これほど重篤であっても患者の意識はしっかりしているため、痛みの感覚が強く、あまりの苦痛に食べることもできず、多くの患者が衰弱して亡くなりました。
イタイイタイ病という病が認定される以前は風評被害もあった
当初は原因が不明であったため、患者は「風土病」(地域特有の病気)や「業病」(悪い行いの報いとしてかかる病気)として差別されました。また、うつる病気とされ、「あそこに嫁に行くと、得体の知れない病にかかる」といった風評被害もあったようです。家族に患者が出ると、それを隠そうとして雨戸を閉め切った部屋に閉じ込めた家もあり、患者だけでなく、家族にのしかかる精神的な負担もいかに大きかったかが分かります。
イタイイタイ病被害住民による裁判で全面勝訴
昭和42(1967)年、被害住民は三井金属鉱業に対して補償などの交渉をおこないます。しかし企業の対応は冷ややかで、被害住民は裁判に踏み切ります。昭和46(1971)年、第1審で、公害裁判としては日本で初めて被害住民が企業に勝訴。翌年の第2審でも住民側が全面勝訴し、判決が確定しました。判決以降、神岡鉱山では毎年立入調査が実施され、被害住民側からは企業への要望を提出。それに対して企業側も精力的に改善をおこなってきました。
イタイイタイ病として非認定だったカドミウムによる腎臓障害のみの患者
カドミウムによる腎臓障害のみの患者はイタイイタイ病と認定されず、これに対する補償が最終課題となっていましたが、両者の間で「緊張感ある信頼関係」が構築されていったこと、汚染された土壌の復元も進んだことから、2013年、腎臓障害をもつ人々への補償をもって全面解決が実現しました。
イタイイタイ病の問題は終わっていない
全面解決に至ったとはいえ、被害流域住民への健康調査や、神岡鉱山への調査は現在も続いており、イタイイタイ病の問題は終わったとはいえません。しかし、こうした絶え間ない取り組みによって、神通川のカドミウム濃度は自然レベルの数値まで下がり、清流がよみがえりました。汚染された農地も復元工事により米のカドミウム濃度が基準値を大きく下回り、かつての安全で実り豊かな農地を取り戻しました。単に負の側面だけで終わらせず、被害者団体、原因企業、行政などが一体となって環境被害を克服した歴史は、世界に誇れるものです。
カミオカンデと神岡鉱山
昭和58(1983)年、神岡鉱山で完成した実験施設がカミオカンデです。昭和62(1987)年2月の超新星爆発で生じたニュートリノ(素粒子の一種)をとらえて注目を集めました。カミオカンデとは、神岡陽子崩壊実験(KAMIOKA Nucleon Decay Experiment)の略です。ニュートリノは非常に観測が困難であるため、観測の邪魔となるほかの宇宙線が遮られた環境で、観測の確率を高める巨大な装置の設置と、観測に不可欠な純水の調達が可能な場所が求められていました。そこで選ばれたのが神岡鉱山であり、その地下1000mには巨大空間が設けられました。神岡鉱山は飛騨片麻岩(ひだへんまがん)という非常に硬い岩石で構成されているため、このような巨大空間の掘削が可能でした。その後、これを発展させたスーパーカミオカンデが完成し、2002年には小柴東大名誉教授(当時)、2015年には梶田東大教授のノーベル物理学賞受賞に貢献しました。現在は、さらに高性能なハイパーカミオカンデの運用計画が進められています。
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