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富山大空襲は地方都市として最大の被害!市街地のほとんどが焼け野原となった 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月21日

富山大空襲は地方都市として最大の被害!市街地のほとんどが焼け野原となった

終戦直前に、富山は空襲によって大きな被害を受け、市街地のほとんどが焼き尽くされます。同じ日に空襲を受けたほかの都市と比べ、被害が拡大した要因がいくつもありました。

富山大空襲での被害は原爆投下2都市を除いて最大

広島と長崎が空襲によって大きな被害を受けたことは、日本人なら誰でも知っていることでしょう。しかし、この2都市を除けば、空襲で最も被害を受けたのは富山県だといわれています。

昭和20(1945)年3月の東京大空襲は、約10万人に達する死者を出します。その後、名古屋、大阪、神戸と大都市が空襲を受け、さらに地方の中小都市への爆撃が全国でおこなわれるようになります。富山県下で初めて空襲がおこなわれたのは、昭和20(1945)年5月24日。25日にかけて6回にわたり攻撃され、B-29計70機が海上に300個、陸上に100個もの爆弾を投下しました。

同年8月1日の夕方、米軍第73航空団らのB-29爆撃機174機がサイパン島を出発。日付が変わった深夜から、富山市への爆撃を開始します。爆撃は約2時間に及び、その間に投下された焼夷弾は1万2740発。そのうちの4500発ほどは集束焼夷弾で、1個につき110本の小さな焼夷弾が束ねられた、さらに攻撃力の高いものでした。

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